2010年(平成22年)2月20日号

No.459

銀座一丁目新聞

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花ある風景(374)

並木 徹

 上海万博時に「孫文・梅屋庄吉記念展」開催

 
 恒例の柳会が開かれた(2月16日正午)。出席者21名。今年から場所を日比谷松本楼に決めて開くことになった。定刻5分前までに全員集合する。戦後各方面で大活躍した面々である。いずれも80歳を超える。今なお弁護士、医者、食品会社社長、設計事務所経営など現役として働いているものもいる。
 はじめに昨年、講談社から「革命をプロデュースした日本人」を出した著者で松本楼の専務でもある小阪文乃さんの話を聞く。本誌1月1日号の「花ある風景」でもこの本を紹介したが小坂文乃さんは悪びれず堂々と20分にわたり孫文を助けた梅屋庄吉について語った。小阪哲朗社長ゆずりの積極さを感じた。私は文乃さんの父親、小坂社長とは毎日新聞の論説委員時代からの付き合いである。
 文乃さんの話によれば、来日した胡錦濤国家主席を招いて松本楼で晩餐会を開いた福田康夫元首相はその後、三回も小坂社長が自宅に設けている「梅屋庄吉資料室」に足を運び梅屋庄吉の偉大さをしのび、熱心に説明する文乃さんに出版を勧めた。出版は3社に断られたが講談社が引き受けてくれたという。さらに重版も決まった。後でわかったことだが講談社の創始者野間清冶と梅屋庄吉とは友人で千葉の別荘も隣同士であった。4月29日にはNHKテレビが特集番組で「孫文と梅屋庄吉」を放送する予定である。さらに8月の上海万博開催中、上海で「孫文と梅屋庄吉記念展」を開催することになり、今その準備に忙しいという。小坂社長に言わせるといまや娘の文乃さんの方が有名になったとのこと。
 長崎医大を卒業した河部康男君が「そういえば長崎の唐人町の一角に孫文と梅屋庄吉の記念碑があるのを思い出しました」と口を添えた。新聞は産経新聞を除いて南京事件の日本軍の悪行ばかりを持ち出すが「君は兵を挙げたまえ。吾は財を挙げて支援す」と孫文に約束した梅屋庄吉が支援した資金は今の貨幣価値に換算すると1兆とも2兆とも言われる額である。このように『革命をプロデュースした日本人』もいるのである。なぜ新聞は日本の悪口ばかり載せるのか疑問に思う。
 つぎに広瀬秀雄君が中国のインフラが着々と進んでいる事情を説明する。たとえば杭州市と寧波市を結ぶために杭州湾に「杭州湾海上大橋」が完成している。その長さは35.673kmである。海水橋としては世界一である。さらに上海への物流を考えて杭州湾にはもう一本、コンテナを運ぶ自動車専用の東海大橋(32,5km)が出来ている。日本はもっとしっかりしなくてはならない。中国に大きく差を広げられてしまうと強調する。
 半田幸弘君が所沢にある「航空発祥記念館」について話しをする。明治44年4月5日、日本で始めて開設された所沢飛行場で徳川好敏大尉が「アンリ・フカルマン」機を操縦、初飛行を行った。高さは10メートル、距離は800メートルであった。見物人から10銭の料金を取って見せたという。所沢記念公園の中に「航空発祥記念館」がある。一度見学をと、みんなに勧める。
 会が終わって、読書家の伊従正敏君に「今何を読んでいますか」と聞いたところ『「沈まぬ太陽」を日航の財務諸表と照らし合わせながら読んでいる。日航の再建は難しいですね』という答えが返ってきた。なるほど財務諸表と照らして読書するのもよいアイデアである。伊従君は勉強家である。民主党政権が過度なほど介入して日航の再建策を立てた昨今、時期的な読書法である。今回も知的な刺激を受けた柳会であった。