毎日新聞社会部時代、一緒に警察回りをした吉田掟二君がなくなった(2009年12月29日・享年83歳)。本誌の愛読者でよく電話で「誤植があるぞ」と知らせてくれた。ありがたい友であった。毎日新聞のOBで作る「ゆうLUCKペン」の同人で、毎号執筆しているのに昨年12月に出た第32集には吉田君の原稿はなかった。昨年暮れに開かれた”32号出版の集い”で「吉田君は体調を壊している」と聞いたばかりであった。
「ゆうLUCKペン」第26集には吉田君は「駆け出しのころ―知られざる特ダネ」を執筆している。昭和23、4年ごろ新聞は2ページで殺人事件でもよほどのことがなければ3行扱いであった。察回り記者はよくあちらこちらの現場に駆り出された。吉田君は下山事件(昭和24年7月6日)で綾瀬の現場に一ヶ月、松川事件(同年8月17日)で福島に一ヶ月の出張をさせられている。このころの記者は事件で鍛えられて成長していった。上野署を中心に警察を担当した吉田君は週に3回ほど上野動物園へ遊ぶに行き、園長の古賀忠道さんと雑談したという。古賀園長から軍命令による動物殺害の残酷物語を聞く。さらに福田飼育課長から毎日少しずつ聞いて記事にして、夕刊「東京日日新聞」に大きく掲載された。その記事の中で餓死させられた象の肉を職員たちが「いただいた」と言う話を吉田君は伏せたということを書いている。職員たちが食糧事情の悪い戦時中であっても『象の肉を食べた』のは読者に与えるインパクトが強すぎる。吉田君らしい思いやりのある配慮である。確かに「知られざる特ダネ」である。
察回りのころの吉田君は良く仕事をした。警察官の非行をモノにするのがうまかった。警察官の強盗事件、経済事犯等警察が隠している事件を報道した。今はこの種の事件は警察が自ら発表するが、昔はそうでなかった。吉田君は時には上野署の記者クラブをわが住み家として寝泊まりして警察官と一緒に風呂に入り、さらに警察署の電話交換台で外部から来た電話の取り次ぎまでしたというから事件に強かったはずである。
私が忘れがたいのは、吉田君が身重の女房を病院にいち早く運んでくれたことである。昭和27年1月中旬である。このころ文京区根津の会社の寮に住んでいた。女房が突然出血し苦しみだし会社に電話した。私は殺人事件現場に出て連絡が取れなかった。仕方なくサブデスクが女房のところへ吉田君を差し向けた。まだ吉田君は上野署を担当していたのかもしれない。女房は吉田君に付き添われて近くの東大病院に入院、無事長女を出産した。吉田君は看護婦さんから「ご主人ですか、やさしい方ですね」と言われたそうだ。そこで長女の名前を愛情があふれ出てくるようにと「いずみ」と名付けた。心から吉田君のご冥福を祈る。
(柳 路夫) |