花ある風景(371)
並木 徹
鳩山由紀夫首相も「映画」を見たらどうか
クリント・イーストウッド監督の映画「インビクタス・負けざる者たち」を見る(1月9日・日本記者クラブ・2月5日から全国公開される)。この映画を見て民主党の鳩山由紀夫首相や事業仕分け人たちの顔を思い出した。南アフリカ共和国の時の大統領ネルソン・マンデラが同国のラグビーチームに力を注ぎ、ワールドカップのラグビー大会(1995年)で南ア代表チームが初出場で初優勝するという感動的ドラマが描かれている。この勝利で一国の歴史が変わったといわれている。ラグビーというスポーツが国を変えたのだ。指導者のリーダーシュップ、スポーツの持つ「国民の団結力を呼び起こす力」をまざまざと示す。鳩山由紀夫首相の優柔不断さ、スポーツ予算を削減した事業仕分け人の不見識が痛いほどわかった。
南アフリカ共和国は面積122万1037平方q、日本の3・2倍の広さである。金を世界の70%を産出するなど鉱物資源に恵まれる。人口は4000万人。不幸な歴史がある。17世紀半ばからオランダ系移民(ポーア人)が入植、19世紀に入り、ケープ地方を英国が占領。1899年から1902年のポーア戦争の末、全土を支配下に治める。1910年、日本でいえば明治43年に南アフリカ連邦が発足、50年後の61年、昭和36年に共和国に移行する。私たちはアパルトヘイトの国という印象を持つ。それまでラグビーワールドカップもアパルトヘイトの影響で除名されて出場できなかった。
マンデラは不屈の男であった。人心をつかむのが上手な人であり、実行の人であった。ウィトワーテルスランド大学法学部を卒業、在学中の1944年にアフリカ民族会議(ANC)入党、反アパルトヘイト運動に取り組み、1961年に軍事組織を作り、司令官となる。その運動などのため1962年8月に国家反逆罪で逮捕される。1964年、終身刑となり、ロペン島に収容された。時に46歳。釈放されたのは1990年2月である。大統領となるのは4年後の4月である。76歳の大統領は民族和解・協調を呼びかけ、白人・黒人の対立・格差の是正、黒人間の対立の解消を目指す。就任2年目に行われるラグビーの第3回ワールドカップに注目する。自分のやろうとする政策が優勝することによってその道筋がつき、国を大きく変えることができると考えた。ナショナルチームのキャプテン・ビナールをわざわざ大統領執務室に招き、選手のやる気を起こさせる方法、部下統率術を質問し、自分の考えを述べ、ビナールに考えさせる。選手全員はロベン島の収容所を見学、マンデラが狭い牢獄の部屋で長い間、耐え抜いてきたかを實感させる。彼の監獄番号が「46664」であるのが明示される。1964に投獄された「466」番という意味である。投獄中のマンデラを支えたのは「インビクタス」と言う題名の詩であった。詩にいわく「私がわが運命の支配者、わが魂の指揮官・・・・」。その詩を試合前にビナールに託す。激励する選手にはあらかじめ全員の名前と顔を覚えていった。選手たちは猛練習を重ねる。練習の合間を縫って子供たちにラグビーを教えるなど国民の間にラグビー熱を盛んにするようにもする。
第3回ラグビー・ワールドカップは1995年5月25日から6月24日まで行われた。出場国16ヶ国(予選出場52ヶ国)、観客動員数1千百万人。南アフリカ共和国は予選グループA組、一位で通過、決勝トーナメントでは準々決勝でサモアを42―14で破り、準決勝ではフランスを19―15で撃破した。決勝の相手はC組から勝ち進んできたニュージーランドであった。準々決勝でスコットランドを破り,準決勝でイングランドを撃破している強豪「オールブラック」であった。日本はニュージーランドに145−17と大敗を喫している。観客からは失笑の声が漏れる。次々と勝ち進む南アフリカチームの試合の模様が画面に映し出される。国の威信をかけて、マンデラの熱き思いにこたえようとする。自分の魂を奮い立たせるのは自分しかないと必死の形相の選手たち。胸を打つ。世界が予想できなかったことが現出される。熱狂する国民。決勝戦は延長戦となり最後の7分、ビナールのドロップゴールにより15−12で南アフリカが初出場、初優勝という快挙を成し遂げる。白人も黒人も抱き合い、顔を見せ会い、ともに喜ぶ。国民が混然一体となる。一つの坩堝と化した。それはマンデラが目指すものであった。感動で世界を変えた男、それがネルソン・マンデラであった。
2019年にはラグビー・ワルドカップが日本で開催される。南アフリカと日本とは国情が異なるにしても鳩山由紀夫首相はラグビー・ワールドカップとどのように取り組むのであろうか。その戦略をお持ちであろうか。
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