毎日新聞社会部の同人でコラムニストの森英介君がなくなった(2009年12月14日・享年70歳)。その4日前に開かれた毎日新聞のOBの同人誌「ゆうLUCKペン」の会で「森君ががんで危ないらしいよ」と聞いたばかりであった。一昨年7月、俳優・渥美清の「風天―渥美清のうた」(大空出版)を出版した際、本紙で取り上げた感想文(2008年7月10日号「追悼録」)を送ったところ感謝の手紙をいただいた。克明に調べた、読み応えのする本であった。俳句に造詣が深くなければ書けない作品でもあった。風天に「お遍路が一列に行く虹の中」の句があるのを知り、渥美清がますます好きになった。
今から6年ほど前、森君が銀座の事務所に「俳句の話を聞かしてください」と取材に来た。平成12年4月からネットで「銀座俳句道場」を開設、選者に寺井谷子さんを迎えて会員とともに俳句を習い始めたところであった。俳句道場を主宰しているということもあって平成13年8月、NHK「俳壇」に選者、寺井谷子さんのゲストとして異例の出演をした。そんなこともあって取材に来たのだろうと思うが、俳句は素人である。だが、いうことは“一人前”である。寺井さんが「天」に選んでくれた私の作品「ヒマワリの先に1945年の恋」を中心に駄弁を弄した。「雨の朝われより辛し児玉番」などロッキード事件の際に作った句などが俳句雑誌「俳句あるふあ」(2004年4月〜5月号・毎日新聞刊)に「ドクヘン俳句」として紹介された。「ドクヘン」と言うのは社会部長時代の私のあだ名である。字足らずで下手な句に、森君がやさしく受け止めて、つけられたものであろう。
聞けば、今年の春ごろからがんで入院して療養していたという。娘さんも同じ病気で37歳の時に亡くなっている。今年の彼岸の時に彼が娘の墓参りをした時に作った句が冒頭の見出しの俳句である。「俺はもう少しこの世で頑張るんだぞ」と言っていたのに、あっけなく娘を追いかけるように逝ってしまった。ご冥福をお祈りする。
(柳 路夫) |