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花ある風景(367)
並木 徹
川井敬子ピアノ・リサイタルを聴く
演奏する演目はすべて日本人による作曲という珍しい「川井敬子ピアノ・リサイタル」に出かけた(11月30日・川口市総合文化センターホール)。驚いたことに湘南地区の音楽フアンから地元の音楽愛好家など600の客席は満員であった。黒沼百合子さんがオペラは作られたその国の言語でと言うので団伊玖磨作の「夕鶴」を日本語でメキシコのオペラ歌手たちに教え、メキシコだけでなく日本各地で上演、好評を博した。すでに幾多の日本人の作曲家たちによる作品が作られている。これらを演奏しない方がおかしい。川井敬子さんの音楽への情熱を高く買いたい。共演のヴァイオリン村松伸枝さん、チェロ平田昌平さんに敬意を表する。
この日心に残ったのは間宮芳生作曲「チェロとピアノのための五つのフィンランド民謡」であった。チェロは平田昌平。民謡は音楽の中心。チャイコフスキーもリストもブラームスも作曲に民謡を取りいれている。民衆の間に民謡が根付いているのを知っているからである。私はこの演奏を次のようにとらえた。「馬」音域の広いチェロが穏やかに奏でる音の広場へピアノが鋭く切り込むようであった。川井敬子の手が優雅に鍵盤に舞う。「美しい白いたてがみの馬が馬車を曳いてゆく様子」と解説にある。広い荒野を白い馬が鋭く走り抜けるというイメージであろうか。「泣きうた」は前者に似た曲想を感じた。切り込むピアノは悲しみの表現であったのか。この歌は結婚式の席で娘と別れなければならない花嫁の母に代わりにうたわれるという。「家なきこじき」「ミッキン・ペッコ」はチェロとピアノがともに仲良く、お互いを思いあって演奏する如くであった。「家なきこじき」では「来月になれば何かいいことが起きるさ」と歌うとか。「いいことが起きる」ためには「一日一善」を心がけるとよい。ピアノもチェロもひときわ高い音色が似つかわしい。最後の「ヨーイク」。私には終始、ピアノがチェロをかばっているように感じた。しかもあたたかく、包むようであった。チェロを弾く平田さんの顔がにこやかであった。解説にはサーミ族に伝わる語り風の歌のことであるという。
最初は吉松隆作曲の「ピアノ・フィリオ」・・・・消えたプレイアードに寄せて、4つの小さな夢の歌 春:5月の夢の歌、夏:8月の歪んだワルツ、秋:11月の夢の歌、冬:子守唄。川井敬子は天与のたおやかな手でやわらかく鍵盤に触れる。ピアノという楽器のあふれ出るような魅力ある音色を出す。どこかで聞いた懐かしいメロディーである。吸い込まれるようにピアノに聞き入る。日本人ならでの曲である。うなずきながら聞く。この日、木下牧子作曲の「ピアノのための9つのプレリユードより1,7,8,9」西沢健一作曲の「HOLY
GARDEN op11 FOR VIOLIN AND
PIANO」,武満徹作曲の「ピアノのためのリタニ〜マイケル・ヴァイナーの追憶に」、吉松隆作曲の「アトム・ハーツ・クラブトリオ第一番OP70D」などの演奏があった。
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