2009年(平成21年)11月1日号

No.448

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茶説

石川啄木は102年前に
「サルとヒトと森」の共存を説く
 

牧念人 悠々

 石川啄木が102年も前にサルと人と森の共存を訴えたと知れば、みんな驚かれるだろう。石川啄木は歌人であっただけでなく哲学者であり、思想家であった。
 著:石川啄木 訳:山本玲子 絵:鷲見春佳「サルと人と森」(発行:NPO法人「森びとプロジェクト委員会」・2009年3月31日第一刷)をみると、思い上がった人間がすっかり忘れていることが書かれている。
 サルは言いました。「過去を忘れたものには未来はないであろう。今が一番素晴らしく、人間が一番賢いと思いあがっていると、これからの人間には進歩も幸せもないだろう。かわいそうな人間たちだ。人間滅亡の時が近いうちにやってくるだろう」。絵はサルが木の上にすわり、人間は帽子をかぶって見上げている。
 さらにサルは言いました。「人間にとって怠慢の歴史だけが日々に進歩している。ほら、人間が自慢する文明の機械というものは、結局、人間をますます怠け者にする悪魔の手ではないか」
 人は叫んで言いました。「生意気な獣よ、早く降りてこい」
 人はまた叫んで言いました。「憎らしい獣だ。思い知れ、おれたちがもし世界中の木を斬ってしまったならば、お前たちはいったいどこにすむというのだ。そうなればお前たちは、人間の前にひざまずき、頭を下げて助けをもとめるほかないだろう」。絵はサルが木の上から木が伐採され、荒れ果てた黒い土地に人間と車と動物がいる暗い雰囲気だ。
 人間は発展、進歩と称して木を倒し、山を削り。川を埋めて開発を進めてきた。今なおとどまるところを知らない。その結果、森は荒らされて動物は少なくなり、食べるものも少なくなり、田畑を荒らしその果てに人間まで襲う状況になった。山に木がなくなったため保水力がなくなり洪水、がけ崩れが頻発するようになった。絵本をめくっていると、頭をグァーンと殴られた感じがする。考えさせられる。サルは鉄砲を家から持ってくる人間にトチの実をぶつける。「遠く遠く、お日様が隠れる深い山の中に逃げ去ったのでした」。
 原文は石川啄木が明治40年9月20日「盛岡中学校校友会雑誌第10号」に書いた「林中の譚」である。時に啄木22歳である。啄木はこの年の3月、村人から「石もて追わるるごとく」渋民村を離れ、函館に行き、友人の世話で商工会議所の臨時雇い、弥生小学校の代用教員となっている。8月下旬、函館の大火に会い、今度は札幌の北門日報社校正係をやる。あまり給料が安いので2週間後に小樽で創刊された小樽日報社に務めるようになる。このような状況の中で「林中の譚」を書いたわけである。素晴らしい才能の持ち主と言わなければならない。横浜国立大学名誉教授宮脇昭さんは発刊の言葉で「啄木はすでに私たちが今“いのちの森”と言っていることを102年前に郷里の鎮守の森に書き留めている」と書いている。