2009年(平成21年)10月01日号

No.445

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茶説

クライン孝子さんの著書
「大計なき日本の末路」に感あり
 

牧念人 悠々

 聖書に曰く「その国に10人の義人がおればその国は滅びない」。国が危機に瀕したとき必ず国を愛する志を持った義人が出てくると私は信じている。クライン孝子はその著書「大計なき国家・日本の末路」(祥伝社・平成21年9月15日第1刷発行)のあとがきで「末路」と言い切ることで、読者の中に、奮発する気迫がめばえてくるのではないか期待すると書く。国への思いは同じのようである。敗戦国の日本とドイツを比較検討しながら、自主憲法を制定し再軍備を果たしたドイツ、いまだにアメリカが作った憲法を後生大事にし、軍隊を自衛隊とごまかして愛国心を失った日本、この違いはどうしてできたのか、長い戦乱の歴史を通して「戦争で負けて失ったものは戦争で取り返すしかない」という現実に徹したドイツと、初めて敗戦を経験した日本との差であると指摘する。国民性からいえば「したたかな大陸国民」と「従順な島国国民」の違いかもしれない。戦後60余年、その差が「教育」「外交」「情報機関」「メディア」などいたるところに噴出している。国民に迎合する民主党政権にこの末路の状況を打開できるのか。
 まずは戦争犯罪人を裁いた「ニュルンベルク裁判」と「東京裁判」をみる。いずれの裁判も戦勝国の戦争犯罪を覆い隠し、勝者が敗者を一方的に裁いたものである。起訴されたナチ指導者は24名(うち1人は公判前に自殺1人は病気のため訴追免除)死刑12名(死刑は1946年10月16日に執行された)終身刑3人、有期刑4人、無罪3人であった。ドイツ人は敗戦国としての世の常と割り切って、この裁判を受け入れたもののこれが正当性のない報復裁判であることもしっかりと心に刻み込み、精神においてはこれに屈することは決してなく、ましてや自国の歴史観に影響されることをよしとしなかった。ドイツ人は本音の部分でこの裁判を認めなかったのだ。日本となんと言う違いであろう。東京裁判で起訴された指導者は28人(判決前病死2人)、死刑7人(処刑は1948年12月23日)終身刑16人、有期刑2人、訴追免除2人。東京裁判で戦勝国が敗戦国を「戦争犯罪国家」とレッテルを張るために使った勝者側の歴史観を日本人がそのまま受けいれているとは、アメリカにしても想像もしなかったことであろう。その想像もしなかったことが日本では起きた。日本を戦争犯罪国家と規定したいわゆる「東京裁判史観」を金科玉条とする国民が大量に出現してしまった。マスコミもそれを信じている。A級、B,C級は占領軍がつけた区別にすぎない。戦争犯罪人という呼称も旧敵国がつけたものである。しかも東京裁判は占領下に起きた出来事である。処刑された人々を国は「法務死」と呼ぶ。「昭和殉難者」という人もいる。靖国神社に合祀さる手続きも合法的に行われている。
 著者は当時、駐日バチカン公使代理であったビッテル神父が靖国神社を救ったエピソードを紹介する。ビッテル神父は連合国側の「靖国神社焼却すべし」の意見を抑えてマッカーサー総司令官に「いかなる国家も、その国家のために死んだ戦士に対して,敬意を払う権利と義務がある。それは戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない」と説得してその焼却の運命から救ったのである。「靖国神社のA級戦犯の合祀を毅然として容認し、堂々とこれに参拝できないリーダーとは一体何だろう」と著者は疑問を投げかける。
 日本の「パチンコ天国」が真のリーダーを持たず、ゆらゆら漂流する象徴だと著者はいう。諸悪の根源だとも指摘する。韓国でも台湾でもその弊害を知って禁止している。パチンコ店のオーナーの7割が在日系だといわれ、毎年巨額の脱税が指摘されている。脱税した金額の多くが北朝鮮へ不正に送金されている。一部日本の政治家や政党が北朝鮮の利益を代弁する族議員となっているというから驚きである。年商は20兆円にもなる。韓国が1万5千軒、年商3兆6500億円のパチコンコ店を禁止したのは2006年末である。なぜかそのことが日本では報道されなかった。トップニュースである。私はこの著書で初めて知った。
 戦後日本とドイツは世界平和にそれぞれ貢献してきた。両国は一度も自ら武器を取って戦ったことはない。この両国には根本的な違いがあるという。ドイツは負けたとはいえ、少なくとも国を守る体制は固持するという鉄則を踏まえ、一歩も引かなかった。国を守る軍隊機能が崩壊したら、国民は一体どのような悲惨な境遇に置かれるか、第二次大戦でも思い知らされたからだ。それに引き換えて日本は第二次世界大戦を「過去の過ち」として葬り去り、片隅に追いやった。その今日の日本の姿がすべてを物語っているという。
 最後に著者は説く。2度とドイツを強国にしてはならないという占領政策によって東西ドイツに分断され、骨肉の争いを強いられながら、統一を果たし、あらゆる困難とぶつかって生き抜いてきたドイツ民族のプライドとは、日本国民が戦後すっかり忘れ去り、失ってしまった明治の魂「教育勅語」の精神と一枚岩にある。それを忘れてはならないと訴える。