阿久悠さんの「夢・歌・阿久悠を語る会」に出席した(9月18日・ホテルニューオータニ)。2007年8月1日に亡くなって早くも2年がたつ。この夏、甲子園の全国高校野球大会の熱戦を見るごとに「甲子園の歌」をスポニチ紙上に27年間書きつづった阿久悠さんはどのように書くのだろうかと思った。とりわけ敗者を描く言葉がやさしかったのが記憶に残る。第88回全国高校野球決勝戦、駒大苫小牧対早稲田実業の一戦のとき,阿久悠は「しかし いつしか どちらにも勝たせてやりたいとか どちらにも負けさせたくないという そんな思いになった まさに終わりなき名勝負・・・」と綴っている(2006年8月21日・月曜日・スポニチ)。
献杯の音頭を取った篠田正浩監督(78)は「阿久悠さんのキーワードは歌・映画・野球であった」と述べた。私はこれに「新聞」を付け加える。彼は夜、丹念に新聞を読み参考になる記事を切り抜いた。「円相場」も切り抜いたというから驚きである。新聞記者以上に熱心に新聞を読んだ。彼が時代感覚に優れポンポンと時代を紡ぐ言葉を生みだした要因の一つだと思う。
本誌がいち早く報道した「阿久悠記念館」は母校明治大学の駿河台キャンパスに建設されることに決まった。大切なのは設計である。私は多目的小ホールの設置を提案する。学生たちに演劇・映画・音楽・落語などに接する機会を与えてほしい。
帰りに重松清著「星をつくった男」−阿久悠とその時代(講談社・2009年9月18日発行)を頂いた。これは作家重松清の感じた「阿久悠」物語である。阿久悠は不思議な人で、接した人百人が百様の感じ方をするような気がする。私には私なりの阿久悠がいる。「彼の詩(思いやり)、ゴルフ(堅実)、言葉(快挙・希望)」が交錯する。何よりもスポニチにとって《恩人》である。事あるごとに阿久悠さんの「詩」が紙面の彩りを添えた。阿久悠さんは常に≪希望の星≫を説いた。「スポニチ50年史」の巻頭を飾った「人間学の天才になろう」−21世紀の提案―はスポニチの記者たちが独占するには惜しい詩である。
人間を宇宙と考えよう 人間の謎と人間の可能性は
好奇に満ちて見つめる価値があると 今こそ確認しよう
人間は十人十色 それぞれが 違った色の宇宙の所有者
と思うと この地球には 六十億もの 体温を持った宇宙があるのだ
定型で組み分けしないで 常識で切り捨てないで
一人一人の宇宙を覗いてみよう 見たら触ってみよう
手にあたったら確かめてみよう きっと面白さに遭遇する
人間が面白くなくて 面白い世界があるわけがない
人間が不機嫌で 愉快な時代になるわけがない
人間 人間 人間
二十世紀で小さくさせられた人間を
二十一世紀には大きくさせよう
二十世紀で硬直させられた人間を
二十一世紀にはやわらかくさせよう
どうだ 見たか 人間ってすてたものじゃない
どうだ しったか 人間って見限ったものじゃない
どうせなら そんな思いで生きようじゃないか
さ 諸君 笑う人を愛そう 歓ぶ人を大切にしよう
そして そして人間の心と行為を面白がる
人間学の天才になろう
そうすると 朝が来る
(柳 路夫) |