1998年(平成10年)9月10日(旬刊)

No.51

銀座一丁目新聞

 

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ゴン太の日記帳 (17)

目黒 ゴン太

 映画監督の黒沢明氏が、先日、亡くなった。自分が観る映画のほとんどは、外国のものなのだが、氏の作品は、数少ない例外であった。しかし、年代的に、氏の名作のほとんどは、リアルタイムで観ることはなく、ビデオで観るしかなかった。それでも、それぞれの作品の持つパワー、独特のリズムのある流れ等、年代を感じさせないものであった。特に、「羅生門」「七人の侍」等は、何度なく繰り返し観る程のファンだった。そして、氏の作品の中に常にある、世の中の道徳を問う様な流れに、いつも観終えた後、説教を受けた感じを覚える程で、何か映画を通して、生き方を教えてくれる、一人の教師の様であった。

 こうした著名な人が亡くなる度に、以前から、どうも腑に落ちない動きが、必ずと言ってよい程にある。それは、「国民栄誉賞」なる賞を、時の首相が授与するという動きである。この賞の意図する所は、字が表わす通りだとは思うが、一応を踏まえておくと、“広く国民に敬愛され、社会に希望と話題を与えた人に対する表彰”(朝日新聞夕刊97日付)だそうである。この賞の意図は、とても素晴らしいものに思うし、黒沢氏は充分過ぎる程、この賞を受けるに値するだろうと、素人目からしても思う。しかし、しかしである。もうお気付きとも思うが、自分が納得ゆかないのは、この賞が、検討され始めるタイミングなのだ。自分の記憶には、この賞が与えられる際、常に対象者は、故人となっているのだ。

 何故、あれだけ国内外問わず、高名で、素晴らしい業績を残していたのにも関らず、故人が亡くなるまで、賞を検討せずにいたのかわからない。一体何の賞なのか。対象者が故人となるまで、故人の業績、偉大さに気付かないのか。タイミングは、いくらでもあったと思うし、今となっては、意味も価値も半減してしまっている様に思えてならない。

 

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