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「早池峰の賦」 大竹 洋子
1982年度芸術選奨文部大臣賞受賞
早池峰山は岩手県北上山地にそびえ、古くから人々の信仰を集める主峰である。その山ふところに抱かれるような大迫町の二つの村落、岳と大償には、起源を中世にさかのぼる山伏神楽が伝承されている。太鼓と笛の音にのって優雅に素朴に舞う、他に類をみない独特の美しい神楽である。その神楽を中心に、山あいで暮らす人々の四季をつづった映画「早池峰の賦」は、ドキュメンタリーの最高傑作といわれ、羽田澄子さんの存在を不動のものとした。そして女性としては初めて、芸術選奨文部大臣賞が羽田さんに贈られたのである。 1982年の作品である。ほんの少し前、私は久々にこれをみた。なんとよい作品だろう。端正なカメラでとらえた映像もさることながら、そこにこめられた羽田さんの温かいまなざしと、懐の深い映画作りに、私はあらためて感動した。 映画の中心になるのは岳の小国誠吉さんである。神楽衆のリーダーの誠吉さんは、いつもは太鼓を受け持っているが、実は舞いの名手である。映画も終わりに近い正月のシーンで、誠吉さんがめずらしく舞うと、いつもは舞い手の金人さんも、他のメンバーも、みんな舞台の袖に集まって、誠吉さんのどんな動きも見落とすまいとみつめている。 なぜ、とりわけこのシーンについて触れたかというと、誠吉さんが既にこの世にないからである。誠吉さんは今年1月4日に亡くなった。ほかにも映画の中で顔見知りになった何人もの神楽衆が死んでしまった。あれから16年もたったのだから仕方がないとはいえ、親から子へ、子から孫へ、と受け継がれてきた神楽の伝統の実体がじかに感じられて、身につまされるのだ。 南部の曲がり家がこわされるシーンも、今更のように心に残る。ここでも大切な伝統が一つ失われた。しかし、その跡に建てられた新建材のピカピカの家の中で、寒くなくなった、住みよくなったと、うれしそうに話していた子どもたちが、今は成人して神楽を舞っているのかもしれない。 ハンサムな青年笛手の達夫さんが、神楽の笛をつくるところも好きだ。山に分け入って吟味した竹を削るのではなく、家の中で達夫さんがつくったのは、ビニール管に穴をあけた笛である。意外に思えるシーンもそのまま取り入れて、結果的にはこのように素晴らしい作品に仕上げてしまう羽田さんの、面目が躍如としている。 プライベートになることを許していただければ、この作品の撮影中に私は入院を余儀なくされていた。半年近く入院して、私の復帰後最初の仕事が「早池峰の賦」だった。岩手県と名のつくところへはどこまでも行き、私はこの映画のパブリシティーに取り組んだ。1982年5月、岩波ホールは観客で溢れ、雲霞の如く人が集まる、とはこういうことかを知った。岩波ホールで働いた長い歳月のなかでも、いちばん思い出の深い作品である。 雪をまとった早池峰山の頂きを、雲がゆっくり通りすぎてゆく。山は影におおわれ、黒くなった山肌の彼方から大いなるものの視線がのぞいている。この山に見守られながら、人も木も鳥もけものも生きてきたのだ。遭難しそうになりながら、神々しいまでの山の全貌をとらえたカメラマンの瀬川順一さんも、今はない。 ポルトガルの高名な映画監督、パウロ・ローシャさんのことばを最後に引用しよう。 これから何世紀かの後、未来の人々が、我々がどうであったかを 3時間5分がオリジナル版だが、今回は英語字幕付2時間30分版を上映する。 11月4日(水)12:00より、シネセゾン渋谷(03-3770-1721)で上映 このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。 |