2009年(平成21年)7月20日号

No.438

銀座一丁目新聞

上へ
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
連載小説
いこいの広場
ファッションプラザ
山と私
銀座展望台(BLOG)
GINZA点描
銀座俳句道場
広告ニュース
バックナンバー

 

追悼録(354)

佐藤道夫さん逝く

 元札幌高検検事長、佐藤道夫さんがなくなった(7月15日・享年76歳)。民主党の参議院議員も務めた。テレビで拝見する限り、発言もしっかりしており穏和な紳士である。2、3年前にテレビ朝日で放映された「沖縄機密漏洩事件」(インタービユア―鳥越俊太郎)のテープが私の手元にある。その中で当時東京地検の担当検事であった佐藤道夫さんが事件について発言している。毎日新聞を始め各新聞が報道の自由と国家機密の保護とどちらが大切かとキャンペーンを始めたのを「ひそかに情を通じこれを利用して3通の電文の漏えいをそそのかした」と起訴状に書き込み、事件をスキャンダルにしたいきさつを語る。
 「知る権利」が問題となるべき事件の本質を「情を通じ」という卑俗な、したたかな実感を伴う表現を案出したのは、なかなかの知恵者である。当時の佐藤栄作首相の意にかなうものでもあった。この事態は予想されていた。毎日新聞の裁判所キャップであった田中浩記者は「検察が西山太吉記者と女性事務官との関係を切りこんでくるのは目に見えていた。低俗な倫理観で揺さぶられてはたまったものではない」と考えた。そこで起訴までは事実報道に徹し、裁判段階で反撃に転じる方針であった。ところが西山記者逮捕直後の社会部会でこの慎重論は「西山記者の逮捕は言論の自由に対する国家権力の不当な介入だ。断固として反権力キャンペーンを展開すべきだ」という正論の前に押しまくられた。このようにして毎日新聞の「知る権利キャンペーン」が火を噴いた(昭和61年2月1日社報より)。
 西山事件の起訴状が朗読されたのは昭和47年4月15日であった。この日をさかいに連日紙面を埋めた「知る権利」のキャンペーンは消えてしまった。「か弱い女性を犠牲にして何が知る権利か」。「ひそかに情を通じ・・・」この表現で潮の流れが変わった。毎日新聞はたちまち読者を約30万部失った。
 古今東西、政敵を葬るためには事件をスキャンダルに変えよと言われる。女性問題を暴露するのが効果的である。一審では弁護人は国家機密を暴露した記者の刑事罰の不当を訴えた。「世界的にも国内的にも、幾度か政府機密がプレスによってすっぱ抜かれ報道されたが、秘密保護法規を有する国においてさえ、未だその取材自体が処罰の対象とされた例を聞かない」。「秘密電文によって、政府の対米密約の存在は明瞭な事実であり、国民を欺瞞するための秘密は不正・不当秘密であって、刑事罰による保護の対象にならい」等々(澤地久枝著『密約』―外務省機密漏洩事件―)。
 2000年米国の公文書によって、沖縄返還をめぐって、日本政府が、米国側が支払うことになっていた400万ドルの原状回復保障費を肩代わりしたことがわかった。事件発生から28年、やっと真実が明らかになった。それでもいまなお西山記者の「懲役4カ月、執行猶予1年」(昭和53年5月31日最高裁上告棄却により確定)は変わらない。ある弁護士が私に言った。「国家機密をすっぱ抜くというのは簡単な方法ではだめですね。だから取材源は絶対守らねばならないのですね」。この言葉は忘れられない。
 

(柳 路夫)