2009年(平成21年)7月20日号

No.438

銀座一丁目新聞

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山と私

(54)
国分 リン

――アヤメの群生地が消えた「櫛形山」――

 「どうしてアヤメの群生地が無くなったのですか。」ちょうど昼食中の自然監視員の腕章をつけた人に伺う。「3,4年前からめっきりアヤメが少なくなり、毎年調査に来て対策を考えている最中です。原因は鹿の食害が最大です。そこで何ヶ所か高い柵で囲い保護を始めました。猟師が少なくなりバランスが取れなくなり鹿が増え続けたこと。それと温暖化で雪が少なくなり、雪の下で保護されていたアヤメの根が凍みたことも考えられます。」食事を途中に柵の中4株ほどアヤメが蕾を教えた。中にはヤナギランやミヤマキンポウゲ等の高山植物も始めて見ることが出来た。凄い群落を期待して登った皆は呆然としていた。自然破壊はあっという間に起き、修復するには長い年月がかかるという、実際に見た現実に恐れを抱いた。
 エーデルの新人・一般の山行で、10年前に登ったアヤメの群生地と原生林が
素晴しい櫛形山を選んだ。6月7日、小雨の中、下見にスポニチ登山学校講師の片平氏とN氏ご夫婦が車で総勢6人が同行してくださった。これで新人を連れても心配なく、登れると安心した。
 7月5日 梅雨の晴れ間になり、甲府で乗換、鰍沢口駅からタクシーで1時間砂利道のくねくね林道を走り、やっと池の茶屋跡の登山口に到着した。駐車場には10数台停車していた。新人の参加者はなく、仲間の女性3人で気軽に歩き始めた。下見のときは3パーティしか会わずひっそりとしていたが、今回は
賑やかである。30分ほどで尾根に出たが、周囲はガスに包まれ、見える筈の富士山も北岳も見えない。歩きやすい尾根道沿いにはマルバタケブキの大きな葉が生い茂っていた。良く観察すると茎の中央部が膨らみ開花の準備をしている。これが道沿いに次々に表情を変えて続くので面白い。1時間ほどで櫛形の最高峰・奥仙重(櫛形山山頂2054m)に到着した。20人ほどの先客が昼食を取っていた。私たちもここで手早く昼食を済ませ、静かな山歩きを楽しむために、一足速く出発し裸山へ向う。ツガ・オオシラビソ・カラマツの大木に寄生植物のサルオガセが巻きつき、長く下がり、折からのガスに囲まれて深山幽谷の世界に迷い込んだ気分になる。20分後に「この美しさをいつまでも」の看板の出ている裸山周遊コース入口に着いた。一面の紫を期待していたらオニシダや雑草の斜面になっていた。願うような気持ちで高山植物を探していたらテガタチドリが一輪咲いていた。「何て酷い。」 諦めてアヤメ平へ向う。途中推定樹齢300年のカラマツの巨木が私たちを迎えてくれた。幹は大人が5人手を繋いだ
太さがあった。周囲は太古の原生林に囲まれ、この息吹を深呼吸で充分に吸い込んだ。
 人の話し声が聞こえ、「手折られし あやめの花のあわれさよ 花にも命の
あるものを」この大きな句碑のあるアヤメ平へ着いた。前述のアヤメ数株の蕾を見つけただけのアヤメ平、ロープで仕切られた周遊コースはズミの木やナナカマドの大木にたくさんの白い花が咲き、それは見事だ。でもアヤメを楽しみに来た友はがっかり、私は目に焼きついていたあの風景を捜し求めた。
 北尾根の見晴台方面に下山開始する。クサタチバナの白い星型の花がたくさん咲き、ガスの中に浮き出てきれいだ。この種族は鹿が嫌う匂いがあるのかなとお喋りをしながら600mの高度差を一気に駆け下り、今回の山行を終えた。
 アヤメの群生地の復活は望めるのか、私たち山と自然を愛する者たちが、これからの世代へ大切に残し伝える義務があると、深く考えさせられ、小さいことから一つずつ実行しなければ間に合わないのではないかと危機意識を持てた
山行であった。