2009年(平成21年)7月10日号

No.437

銀座一丁目新聞

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茶説

先師の志に学べ
 

牧念人 悠々

 日本の政治の影が薄い。躍動感がない。くだらないニュースが多すぎる。今度の衆院選に自民党から出るかどうか、宮崎県の東国原英夫知事を巡る報道がそれを端的に示している。時代の流れは政権交代を目指して動いている。自民党は地方選挙で一城、一城落とされている。就任後1年間でテレビ出演169回を誇る東国原知事の意図が真面目なものであってもこの時代の流れを逆流させることは不可能である。テレビは所詮、娯楽機関である。“劇場空間”に過ぎない。それに頼るのは愚かである。それを浮動票の有権者が見抜いている。
 有権者はだまされない。「今はテレビ時代、中身よりも表面を飾って、視聴者を引き付けることができる」などと思っている政治家より賢明である。
 それにしても政治家に人物がいなくなった。政治家も小粒になった。ところで人物はどのような人間を言うのか、手元の本から探してみた。
 小島直記の「志に生きた先師たち」(新潮社・昭和60年3月20日発行)に昭和天皇が皇太子時代侍講を務めた杉浦重剛の親友頭山満のことが紹介されている。それによると総理大臣の伊藤博文や財界総理といわれた渋沢栄一が権力や金力で新橋の名妓をなびかせようとしたが二人を振って一文無しの頭山満にうちこんだという。伊藤博文がその名妓にその理由を聞いた。
 名妓は答えた。「夏のこと、蚊が腕に止まりました。頭さまはいっこう追いもなさらず、吸いたいだけ血を吸わせ、吸いふくれてころげおちそうになったとき、ほう、もう飲みあきたかとおっしゃって、その吸いふくれた蚊を掌にうけて、ソッと庭の茂みへ投げておやりになりました。その時私は、あのような豪傑のお方に、このようなやさしいお心があるのかと、すっかり感心してしまいました」
 頭山満は玄洋社の創設者。民族運動として初期の役割を無視することはできないと指摘する人もいる。その憲則3条は「第1条 皇室を敬戴すべし 第2条 本国を愛重すべし 第3条 人民の権利を固守すべし」であった。
 女性が一番の男の良さも悪いところも見抜く。それにしても頭山満の優しさは抜群である。
 後藤新平も紹介されている。4代目の台湾総督児玉元太郎の抜擢を受けて内務省の衛生局長から総督府の民政長官に就任、歴代民政長官の中のベストといわれる存在となった。後藤新平は常に「人間は仕事を始める時は、いつも最悪の場合を考えておかなくてはいけない。戦いにしても進むのはやさし。本当に難しいのは退けどきだ」といっていた。台湾に赴いたときは42歳の時。後藤新平はいつも机の引出しに300円を入れておいた。当時役人は3ヶ月たたないうちに免職になったものには旅費が支給されなかった。いつ免職になってもよいように机の引出しに旅費として300円を入れておいたという。後藤新平は台湾にいること10年、彼は常に「最悪の場合」を覚悟して仕事をした。東京より早く台湾に下水道設備を完備するなど道路・鉄道などの整備をした。それにもかかわらず、NHKテレビは「ジャパンデビュー」の第一回「アジアの一等国」(4月5日放映)で日本の台湾統治を取り上げ、日本の悪口の限りを尽くした。まことに公平を旨とするNHKらしくない。このような番組が「日本は悪い国」という自虐史観を推進、日本の政治をますます悪くする。ともかく自民党は最悪の場合を考えて対処した方が良い。吉田茂は「人間と人間との交渉の上のことならば何でも漢籍に求められる」といった。孫の麻生太郎には李白の「月下独酌」の漢詩の一節を捧げる。

「花開 一壺酒 独酌無相親 挙杯邀名月 対影成三人」

しばらくは自分の影も仲間の一人と考え名月をむかえて酒を楽しむがよいであろう。