2009年(平成21年)6月10日号

No.434

銀座一丁目新聞

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追悼録(350)

同期生に囲まれて逝く

 毎日新聞西部本社で一緒に働いた松尾礼次郎君からタブロイド版の「つくし毎日」(5月号)が送られてきた。そこで初めて白井彰君の死を知った。白井君も毎日新聞にいた。広告部長で定年退職した。松尾君とは広島幼年学校(47期)の同期生であり、職場が違っても共に毎日新聞で働き、定年後は福岡偕行会の理事を務めた。昭和56年6月、私が西部代表で赴任した際、松尾、白井両君が音頭を取って西部本社に在籍している陸士、陸幼出身者が集まって私の歓迎会を開き、同期生の中谷貴文君(故人)、中村勲君ら7,8名が集まってくれた。私にとって初めての出来事であった。九州人の温かな心を感じた。
 白井君は顔が広く、福岡の財界人や陸士の先輩を紹介、大いに助かった。また、「これからの時代、本社は小倉より博多に置くべきだ。情報の量が10倍ぐらい違う」と言っていた。私も赴任して間もなく、北九州の有力財界人から同じような話を聞いていた。重点を博多に置くようにしながらも本社移転は難しかった。定年後、安倍晋太郎の秘書をしていたので安倍さんも紹介してくれた。安倍さんが亡くなった後も安倍晋三首相の仕事を手伝っており、しばしば上京していた。時折、私を訪ねては貴重な政界情報を教えてくれた。気配りのきく人であった。
 松尾君の話によれば。4月18日福岡市のマンションで倒れた。白井君は数年前に奥さんを亡くし一人住まいであった。その時たまたま同期生の元大阪府成人病センター内科部長柴田夫妻が訪れ、救急車で九州がんセンターへ搬送した。白井君は昨年肺ガンの手術を受けていた。白井君は親、兄弟がおらず天涯孤独であった。広島幼年学校時代「寝台戦友」であった柴田さんは弁護士、主治医などの立ち会いで遺産相続などすべての親身になって面倒を見た。葬儀は4月28日、福岡市中央区・積善社福岡斎場で「家族葬」の形で行われた。通夜には東京から安倍晋三夫人昭恵さんも姿を見せた。大阪、鹿児島、熊本などからたくさんの同期生が参列したという。
 享年79歳。心からご冥福を祈る。
 

(柳 路夫)