2009年(平成21年)2月10日号

No.422

銀座一丁目新聞

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茶説

ノートと口紅と戦争ごっこが
織りなす風景
 

牧念人 悠々

 考えさせられた。戦後64年戦争が一度もなかった日本では想像もできない情景がここでは繰り広げられている。19歳の女性映画監督ハナ・マフマルバフの作品「子供の情景」(4月18日から東京・神田神保町・岩波ホールで上映)、原題は「ブッダは恥辱のために崩れた」である。舞台はアフガニスタンのバーミヤン。2001年3月、イスラム原理主義勢力タリバンが砲撃で破壊した有名な仏像があったところ。高さ80メートルの絶壁に作られた岩窟の中に55メートルの高さの大仏立像などが岩磐から掘り出されていた。今は瓦礫となり果てている。向学心に燃える6歳の少女バクタイが隣に住む少年アッパスの勉強振りを見て自分も学校に行きたくなる。学校に行くにはノートと鉛筆が必要だというので家から卵4つ持ち出し市場で換金しようとするが誰も相手にしてくれない。そのうちパンなら買うというので卵と変えてやっと10ルピーを手にする。それでノートを買う。鉛筆は母親の口紅で我慢する。昔日本では「蛍雪の功」という言葉があった。油が買えなくて蛍と雪の明かりで勉強し大成したという意味だ。日本の「格差社会」も次第にひどくなるが、アフガンの比ではない。まだ日本は恵まれていると思う。
 バクタイが喜び勇んで学校へ行く途中タリバンをまねた“戦争ごっこ”をしている少年たちにつかまってしまう。”戦争ごっこ“とは懐かしい。子供の頃よくやったものだ。懐かしいなどといってはいけないのかもしれない。専守防衛の日本ではもっぱらたたかれ役に甘んじなければいけないのだからこのような遊びは現代には生まれようがない。映画の中で一人の少年が「僕が大人になったら、お前を殺すぞ」という言葉を吐く。子供は親を、社会を今の世界を鏡として生きている。ノートは奪われる少年たちはノートを破り取って紙飛行機を作りとばす。仏像の瓦礫の上を舞う飛行機は空襲にくる爆撃機さながらだ。捕まったバクタイが岩山の洞窟の中につれて行かれるとブルカのような紙袋をかぶせられた女子たちがいた。誘拐された人々を思い出される。バクタイは一人逃げ出して警察官に通報すると、おれは交通整理が仕事だ。山を担当している警察官に伝えておこうと、悠長なことを言う。
 やっとたどり着いた女子学校では満員で席がない。チョークを取りに行った女の子の席に座るが、その女の子が戻ってきて押しあいとなる。ノートをくれたら席を半分あけるという。なくなくノートを差し出す。バクタイが持ってきた口紅でお化粧ごっこが始まる
 気がついた先生がバクタイを追いだす。帰り道バクタイを探していたアッパスと出会い手をつないで帰ろうとすると、またいじめっ子の少年たちと出会う。「テロ犯だから殺す」という。アッパスは少年たちの構える木の銃に撃たれて死んだ真似をする。バクタイはもみ殻の舞う中を必死に逃げる。アッパスが叫ぶ。「バクタイ死んだふりをするんだ。バクタイ自由になりたければ死ぬんだ」バクタイは仰向けにばったりと倒れる―
 自由になりたければ死ぬんだ」という叫びは悲痛である。現実のアフガニスタンの状況が人々にそうさせるのであろう。その気持ちは十分わかる。いじめられた時、今の日本でも死んだふりをするであろう。しかし、日本ではそれは少し意味が違う。本来、自由になりたければ戦うのが当り前である。今の日本ははじめから戦うことを放棄している、敵が来たら「逃げ出す」のである。だから死んだ真似をする。戦うことを忘れた民族は滅びるほかあるまい。
 最後に思い出した。美智子皇后様のお歌がある。
 「知らずしてわれも撃ちしや春蘭くるバーミアンの野にみ仏在さず」