2009年(平成21年)1月20日号

No.420

銀座一丁目新聞

上へ
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
連載小説
いこいの広場
ファッションプラザ
山と私
銀座展望台(BLOG)
GINZA点描
銀座俳句道場
広告ニュース
バックナンバー

茶説

田母神論文がマグマとなり
噴出する
 

牧念人 悠々

 今年もまた田母神俊雄前空幕長の「日本は侵略国家だったか」の論文のマグマが至るところで噴出するであろう。いま防衛庁は統合幕僚学校の「歴史観・国家観」講座の講師人選を見直しているという。それが「村山談話」に沿うというつもりらしい。外国を見よ。どこの国が自分の国が侵略国家などと吹聴しているのか、教えてほしい。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、オランダ、スペインすべての国が自国発展の名のもとに他国を侵略したではないか。その国の人たちは今なお自国を侵略国家といいつづけているか、恐らくそのような国はどこもないであろう。日本だけがなぜ自国の悪口を言い続けるのか、戦争にはお互いの言い分がある。自衛戦争か、侵略戦争であったかは、その国の解釈に任されている。それが国際法の解釈だ。大人の外国は口が裂けても「侵略だった」などとは言わない。最近友人の前沢功君からこんな同期生もいると手紙をいただいた。それによると、「オレは上司のいうことには従わない。しかし部下のお前たちはオレの言うことに服従しろ」といって憚らない空幕長が現れました。意見の論旨も「国粋的」で、太平洋戦争推進派の旧軍人の再現を思わせるものがあります。「国粋的」が良いか悪いかの前にこの空幕長は「組織人」として不適格と思うのですが、ご本人は全く気が付いていないで「言論の自由」とかを振り回しています。(オレは偉いのだ。権力があるのだ。とおもっているのでしょう)「職業選択の自由」があるのですから。辞職して組織の外に出てから自説を主張すべきだったと思います。(もちろん彼を今日まで放置した上司の責任大です)「殺すのは誰でもよかった」といって無差別殺人をする「感情だけで動く人」が増えてきました。社会人として、組織人として「無茶苦茶」な点は空幕長も同じでしょう。民主国家60年の実績は何をもたらしたのか少なくとも自衛隊は旧軍の遺伝子を温存していたことを証明しました。今後はよほどしっかりした信念(民主主義理解者)を幹部に据えないといけないという見解であった。
 同期生の中にもこのような考えの人がいてもおかしくない。戦後64年もたつ。いろいろの考えがあってもよい。今の自衛隊のありようを考えるとこれで良いのかという不安が残る。ある同期生への私の考えを述べたい。
 1.「オレは上司の言うことは従わない。しかし、部下のお前達はオレの言うことに服従しろ」という空幕長の発言について。
 この発言の前後にどのような言葉があるのか分からないので判断が難しいが、これだけを取り出すと「けしからん」ということになる。おそらく「村山談話」を信奉する上司の言うことを聞くなと言うことであろうと思う。日本だけが侵略国家ではない。諸外国も他国を侵略したではないか、日本だけを悪く言うのはやめよう。それよりも日本の良い伝統と美風を伝えていこうという田母神空幕長の論旨は「国粋的」であるが、私には当然だと思う。
 2.このような人物を自衛隊内部においておくことが「組織人」としてふさわしいかどうかについて。
 これは「言論の自由」「思想の自由」の問題に深く関わってくる。この問題をどう感じるか、どう理解するかで、その態度に濃淡が出てくる。田母神論文は真っ向から「村山談話」を否定していない。それよりも日本をあしざまに言わないで日本の美点を主張しようと言うものである。国を守る自衛隊員の士気・統率を考えての内容だと考える。政府見解である「村山談話」を俎上にのせて論難すれば問題となろうが、発表された田母神論文程度であれば「組織」を破壊するほどの爆発力を持たないであろう。組織での「表現の自由」をどこまで認めるかはその組織が持つ「風土」「社風」に左右される。線引きは難しい。私は最大限認めるべきだと思う。また自衛隊員と雖も「思想の自由」を持つ。極端な言い方だが「無政府主義者」でもかまわない。実際の行動にでなければ問題にならない。民主主義はあらゆる考えを持ったもの同士が集まり、多数決でことを決めていこうというものである。「田母神の考えがおかしい」といい、これを排除するのは明らかに憲法で保障されている「思想の自由」に反する。日本はいつから「北朝鮮」と同じ独裁国家になったのか。
 3.自衛隊に旧軍の遺伝子を温存していたか。
 この同期生は防衛大学校を見学したことがあるのか。おそらくないと思う。今の防衛大学校は昔の陸軍士官学校の姿はない。民主主義国家の日本の新たな自衛隊の幹部養成学校と変貌している。それは時代だから仕方ない。幹部が一番困っているのは「どうしたら部下を死地へ飛び込むことを命じることが出来るか」と言うことではないか。陸将まで務めた同期生は法律で明記するほかないと、その苦衷を述べていた。田母神元空幕長の心の内も「死地に向かわせる部下をいかに教育すべきか」があったと考える。この美しい伝統と文化を持つ国だからこそ「死を覚悟して守るべきである」と言いたかったのだと私は推測する。
 自衛隊が軍隊である以上旧軍の遺伝子である「礼儀」「武勇」「信義」「質素」の徳目を引き継いでいるのは当然だと思う。これは民主主義国になっても変わらない。

(「大正精神史」は1月20日号より「安全地帯」で連載します)