2008年(平成20年)12月20日号

No.417

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安全地帯(235)

信濃 太郎

秋出水彼は食堂車へ行く人種    夜虹

 村上夜虹さんの第1句集「夜の虹」(文学の森)が送られてきた(自鳴鐘叢書第87輯)。本の扉に自鳴鐘主宰・寺井谷子さんの「生活者の視点〜昭和の子として〜」の言葉がある。夜虹さんの句というと「秋出水彼は食堂車へ行く人種」が浮かぶという。昭和29年の作で、寺井さんは10歳であったが覚えているそうだ。この時、作者は27歳である。私は29歳で事件記者であった。仕事柄、俳句に興味があったものの作るという意欲はわかなかった。
 経歴をみると、生まれは昭和2年6月。昭和20年小倉陸軍造兵廠技能者養成所見習工員科卒業、18歳で敗戦を迎えている。昭和22年小倉消防署勤務、日本大学法学部法律学科特修科入学、昭和25年消防署退職とともに退学とある。俳句を始められたのは昭和28年、26歳からである。「秋出水・・・」の句は1年後の作である。なかなかの名句である。それから54年たつ。夜虹さんの最近作を拾うと「戦死と云う理不尽蟷螂斧を研ぐ」「敬老会何をする我流の詩吟です」などがある。この人は生き方が不器用で無骨な人と私に は映る。「彼は食堂車へ行く人種」と詠んだその気持ちを今なお持ち続けている。いつまでたっても俳句には作者の性格がはっきりと出る。しかもこわいほどに出る。
 数年前、中学の友人達と伊豆の温泉で忘年会を開いたときのことである。カラオケで楽しんだが友人のひとりが最後にとっておきの卑猥な数え歌をやり出そうとした時、大阪から出てきた男が「俺に歌わせろ」といきなり「海行かば」を歌い出した。彼は予科練出身で戦友の多くを特攻で失っている。みんな静かに聞き入るばかりであった。それでお開きになった。この男は不器用なヤツであった。
 寺井谷子さんの見る目はもっと温かい。「妻外出柿てらてらと木に残り」「セスナ消ゆ水晶山の雪越えて」の句に愛妻家であり、少年の心を蔵する人であると察する。
 俳句は味わえば味わうほどに奥が深くて興味が尽きない。
 句集には昭和48年以前、とそれ以後平成19年までの作品が収められている。私の心に響いた句を並べる。

  火の消えし火鉢ボーナス出そうもなし
  てらてらとして柿天にあり事故現場
  天無限青葉に歴史ねむるなり
  赤き赤きはたもて五月始まりぬ
  くらやみに台風来るか来るか
  蝉鳴かぬ木もあり戦終わりし日

 敗戦を富士山麓野演習場で私は迎えた。19歳であった。その前日まで富士の山林の中で敵陣への斬りこみ訓練に忙しかった。あえて俳句にすれば「蝉しぐれ敗戦を聞く野営場」最近作は「甲斐ありて形さまざま蜜柑成る」である。まことに平和である。
 夜虹さんの「八十の坂です真上に法師蝉」を見ると、この人はかなり我流を貫く方のように思える。味があって好感が持てる。