花ある風景(332)
並木 徹
シネマ歌舞伎「人情噺文七元結」の世界
山田洋次監督・中村勘三郎主演のシネマ歌舞伎「人情噺文七元結」を見る(11月12日。東京・東劇)。一席の落語の人情話を歌舞伎と映画で見るという贅沢さを感ずる。しかも笑ったり涙を流したり、心を豊かにしてくれた。「正直もの
の頭に神宿る」と現代では死語にもなった諺さえ思いだした。落語に造詣の深く、これまでに新作落語を書いている山田監督だけに、このシネマ歌舞伎にはきめこまかく神経が行き届いており、勘三郎の好演もあって歌舞伎の良さも十分に生かされた作品となった。
長兵衛(勘三郎)は腕のいい左官の棟梁だが博打にこって今ではすっかり落ちぶれて、女房のお兼(扇雀)とはけんかが絶えない。それを見かねて娘お久(芝のぶ)が吉原に奉公に出て50両の金を作り長兵衛に以前のような働き者になってくれと願う。今このような親孝行な娘がいるのだろうか、思わず涙が出た・・・。17歳のお久は切々と父親に訴える。手にはしもやけができている。「しもやけ」を知らない若者がいるらしい。暖衣飽食時代である。やむを得まい。
「闇の夜は吉原ばかりが月の夜かな」―吉原からの帰り本所大川端で掏りに50両を盗まれ、川に身を投げようとする和泉屋文七(勘太郎)にあう。長兵衛と文七の押し問答が聞かせもし泣かせもする。大切な50両をたたきつけるように文七に与え「死ぬなよ」と叫んで立ち去る長兵衛の姿は神々しい。久しぶりに”神々しい“という表現を使うのもこの作品故である。人の命を救うことができれば必要な大切なお金であっても用だてるのは当たり前のようだが、誰にでも出来るものではない。底抜けに人のよい長兵衛だからこそできる。このような江戸っ子が懐かしい。
最後にどんでんがえしがくる。実は文七がすられたと思った50両は掛けとり先の屋敷で碁見物中にその屋敷に置き忘れていた。命を助けられた文七の話を聞いて主人の和泉屋清兵衛(弥十郎)が長兵衛を文七の命の恩人と感激してお久を身請けしてきたり暖簾分けする文七とお久を夫婦にさせる話が出たりお芝居はめでたしめでたしで終わる。
それにしても清兵衛の言葉が心に残る。「世の中にお金を盗んで逃げるって人はあるが、お金をやって逃げるなんてえのおまえさんぐらいなもんだよ」。
しばらくの間客席から立ち上がれなかった。久しぶりに良い芸術作品に触れたからである。反面、私たちの生活の中から「親孝行」という言葉、「呆れるほどの人助け」という大切な美徳がなくなっている。重い気持ちにもなっていた。それでも気持ちは高揚した。町の風は私を暖かく包んでくれた。この日の最高気温17度、平年より4・3度も高かった。
|