2008年(平成20年)11月20日号

No.414

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花ある風景(329)

並木 徹

スポニチ登山学校尾形好雄さんの感謝の集い

 スポニチ登山学校の校長であった尾形好雄さんの「感謝の集い」が開かれた(11月15日・東京銀座7丁目・Sun-mi 高松)。尾形さんはサガルマータ(エベレスト。8848メートル)を冬期に最も難しかったといわれる南西壁から登頂に成功したアルピニストである。登れて、書けて、話せる3拍子そろった登山家である。今年の7月閉校になったので教え子たちが「ありがとう尾形先生」の送別会を企画した。平成8年1月開校した登山学校が12年間で送りだした生徒は12期生まで449名、山行回数260回、参加者総数5800名である。この日は150名が集まった。この間一人の遭難者も出していない。難しい山行の際、尾形さんはスポニチの社員でもあったので、机の引出しに「辞表」を書いて出かけたという。名誉校長であった私は全く知らなかった。もちろん、遭難者が出た場合の覚悟はしていた。一期3年間の課程とはいえ易しい山ばかりではなかった。冬の谷川岳・白毛門、日光白根山、八ケ岳・赤岳、西穂高・独標、夏の槍・穂高岳、剣岳、さらにネパール・ヒマラヤのポカルデ・ピーク(5806メートル)、ゴーキョ・ピーク(5483メートル)チュクン・リ(5500メートル)の登頂なども含まれている。山の神様に感謝のほかないが基本を忠実に守った生徒たちを褒めねばならないだろう。1年生の時に座学の授業に出なかった者には絶対に山行を認めなかったというのもよかったかも知れない。挨拶に立った医者住吉仙也さんは「この登山学校のすごいところはわずか3カ条の校則の一つに『情誼の厚い人間たれ』とあることだ。本日の集まりを見てもそのことがよくわかる」と語った。大阪大学医学部の学生時代に船医としてアルバイトし世界各地を回り、卒業後も登山に熱中し昭和34年ヒマルチュリ(7893メートル)から平成5年サガルマータ(8848メートル)まで数々の登山隊に医師として参加している異色の人物である。各期の生徒が登壇して「雪山賛歌」「高校三年生」などを合唱、阿久悠さんの「きっとことしは」の詩も朗読された。この詩はいつ聞いてもいい。

「思い浮かべてみるがいい
 それがどれほど凄いことか
 8848メートル
 サガルマータの頂で天の声を聴き
 地の声を心によみがえらせることが」

 「魔峰に快擧の旗」-1993年冬季サガルマータ南西壁初登頂―のCDを見るとこの詩の実感がよくわかる。平成5年12月18日、名塚秀二、後藤文明チーム20日、田辺治、江塚進介チーム22日、緒方好雄、星野龍史チームがそれぞれ登頂に成功した。スポニチの社旗が世界最高峰に翻った瞬間でもあった。頂の広さは畳4畳半ぐらい。気温はマイナス60度、尾形さんは羽毛服で暖めながら運びあげたバッテリーで6分間ビデオを回した。カメラはフイルムがなくなるまでとった。貴重な映像として残った。「夢は熱き思いをはせ続けることによってかなえられる」と尾形さんは言う。阿久悠は詩に詠う。

「きっと ことしは
 きっと ことしは
 それぞれの人の胸に
 快挙の旗が立てられる」。