2008年(平成20年)7月10日号

No.401

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追悼録(317)

俳人渥美清は孤独で粋な人でした

  俳優、渥美清(本名田所康雄)は俳号「風天」という。俳句はその人の人柄がそのままにあらわれる。「赤とんぼじっとしたまま明日はどうする」(平成3年10月・63歳)には風天の孤独さがよく出ている。「明日のことは神様にでも聞いてくれよ」といわんばかりである。森英介著「風天」−渥美清のうたー(大空出版刊)には渥美さんの俳句が221句でてくる。「サンデー毎日」のデスク時代「サンデー俳句王」という投稿俳句欄を創設した森さんが知られざる風天の俳句を探し求めて発掘した、労作である。読んでいてほほえましくなるし、そうだったのかと納得もした。
 森さんは「風天俳句の原風景をたどってきて得た私なりの結論は、渥美清はきわめて孤独な人だが、その孤独をしっかり楽しんでいた粋な人でもあったということである」と結論する。それは221句をじっくりと自分なりに味わってみるとよく分かる。風天が「アエラ句会」、雑誌「話の泉」の句会、「トリの会」、「たまごの会」など4つの「遊俳句会」に参加していたのを突き止めている。山田洋次監督が言うように「短い言葉で本質や情景をスッパといいきるのが得意だった」渥美さんの性格と俳句がぴたりとあったということであろうか。「アエラ句会」では開会の時の自己紹介で「アエラで会計をやっております渥美と申します」といったという。名句「お遍路が一列に行く虹の中」(平成6年6月6日、風天の最後の「アエラ句会」となる)はこの句会で生まれた。ちなみに、この時「天」を取ったのは「アエラ」の穴吹史士さんで、その句は「国境虹を背負いてバス来る」であった。上手い。句が大きい。国際的な広がりを私は感じる。風天の「お遍路・・・」の名句は「カラー版新日本大歳時記」(全五巻)の春の巻に掲載された。すごいことだ。俳人車寅次郎はあの世でどんな顔をしているだろう(平成8年8月4日、68歳で死去)。「全体の掲載季語4千2百。五巻を通して約3万にのぼる例句は全国7百の俳句結社から優れた俳句を募って選ばれた」と説明されている。
森さんは風天の句を語るのに、キリスト教の牧師、関田寛雄さんを登場させる。すばらしい人の選び方である。21年間務めた教会から記念品に九谷焼を差し上げたいというのを断って「男はつらいよ」のビデオ全巻を頂戴したという寅さんフアンである。関田牧師の「虹談義」は興味深い。キリスト教では虹は「約束に生きる人生」であり「どんな人生でも望みなきににあらず」の象徴である。ノアの箱船の最後の結論は「神が虹を与えた」という。「この句は僕にとって渥美さんからの最高の贈り物だと想っている」。人間は己自身に深きものを持っておれば、句の解釈も深く、広がってゆく。
辞世の句になるかもしれない句は「たまご句会」で読んだ次の3句である(平成8年3月28日)。

 がばがばと音おそろしき鯉のぼり
 ポトリと言ったような気がする毛虫かな
 髪洗うわきの下や月明かり

(柳 路夫)

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