花ある風景(308)
並木 徹
「縁は異なもの桜が結ぶえにし」
恒例の高尾森林科学園の桜見物に出かけた(4月11日)。参加者16人(夫人一人)、年々少なくなる。今年は平日(金曜日)とあって桜見物客はすくなく、列をなすようなことはなくあるきやすかった。例年の如く入口で桜の絵ハガキを10枚、500円で買う。「イチハラトラノオ」「ケンロクエンキクザクラ」など知らない桜の名前があった。今年はソメイヨシノが目立った。「みはた会」で知り合った伊室一義君から頂いた「その生涯を桜にささげた男」(桜博士の笹部新太郎)によると、江戸末期に江戸染井村の植木屋がオオシマザクラとエドヒガンザクラを交配させてつくりだしたもの。気品に乏しく花が散った後萼(がく)が垂れ下がる様が美しくないと心ある人に嫌われた。これが日本の桜の90%を占めて日本列島を
おうようになったのは、根付きがよく病虫害にも強く管理しやすいのと政府と学会がソメイヨシノを普及させたからである。このため各地のすぐれたヤマザクラが切り倒された。これでは日本の良い桜はなくなってしまうと立ち上がったのが笹部新太郎さんであったという。この森林科学園に3本植えられてある八重咲きの新種「笹部桜」は気をつけてみたが見当たらなかった。
昨年と同じく田中長君と桜を愛でながら雑談していると、田中君が東京幼年学校の3年生の時、1年生だった伊室一義君らがいた訓育班の指導生徒で、良く伊室君を知っているという。今でも田中君を囲んでの会が開かれているそうだ。まことに縁は異なものである。
宴会場は高尾山口の栄茶屋。昨年から椅子になった。ウーロン茶は私と元林野庁長官の秋山智英君、食事のそばを早く頼んだのもこの二人であった。80歳を過ぎてもよく飲むのには感心する。誰が「開がいないのがさびしいな」(今年の2月、死去)と独り言をいう。そういえば開君は酒をこよなく愛した。西村博君が開君、世話役の植竹与志夫君、自分と3人の奥さんが実践女子大で同級生であったと話をする。いつも姿を見せる俳人の植竹夫人京子さんがいないのはちょっぴりさびしい。
隣にいた鈴木洋一君と憲法、年金、チベット問題など雑談を交わうち私は塩田純の「日本憲法の誕生」を、鈴木君は外国からネットで送られてきた「チベット騒動の虐殺遺体の写真」を送る約束をそれぞれする。12日に本を送ると、彼からメールで「チベット大虐殺被害者遺体写真集」が送られてきた。写真は20枚。銃の弾痕が残るもの、生々しい血にまみれたもの、思わず目をそむけたくなるものばかりであった。何故か、その写真は数日後画面から消えてしまった。世界各地の聖火リレーで中国のチベット騒動に対する抗議運動が起きるのがよくわかった。ネットで新聞やテレビでは掲載できない、このような残酷な虐殺遺体の写真を世界中に流されては中国がいくら弁解しても無駄な気がする。ネットの力は世界世論をあっという間に起こす。毎年、高尾の桜は何らかの知的刺激を私に与えてくれるのは嬉しい。 |