2008年(平成20年)2月20日号

No.387

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追悼録(303)

梶山静六監修の「遠別離」を聞く

  カセットテープ、CDを整理していたら元官房長官梶山静六 監修「遠別離」編曲・唄遠藤実のテープが出てきた。「遠別離」(作詞・中村秋香、作曲・杉浦千歌)は同期生の葬儀の時に「陸軍士官学校校歌」とともによく歌う。歌は日清戦争当時に作られた。1番の「千重の波路を隔つべき 今日の別れを如何ににせん」、2番の「行きて尽くせよ国のため」の歌詞を見る限り戦場の赴く戦友を送る歌である。調べは悲しくひびく。
 梶山さんは「五木の子守歌」(球磨郡山江村山田別府・採譜尾原昭夫)や「船頭小唄」(作詞・野口雨情・作曲・中山晋平)など哀調を帯びた歌を歌わしたら絶品であったと同期生たちは異口同音に言う。「遠別離」も愛唱歌の一つであった。テープにとって残そうというので梶山さんが知人の作曲家遠藤実さんに相談すると、「あなた方が歌っている調べと、もともとの五線譜が合うかどうかやってみましょう」ということになった。梶山さんが歌うと杉浦千歌の五線譜通りであった。そこで新宿にある遠藤事務所で録音した。唄は梶山静六さんでもよかったのだが、昔流しもやったこともあり、歌に自信がある遠藤実になった。この間、梶山さんと行動をともにした親友の後藤久記さんの話では録音の翌日、梶山さんが国立ガンセンター中央病院に入院したという(平成12年2月19日)。なくなる3ヶ月前の話である。この入院中梶山さんは遺書とも言うべき著書「破壊と創造 日本再興への提言」(講談社・200苧年3月発刊)を出している。
 この間の梶山さんの心境について夫人の春江さんは「長年、選挙でお世話にになった人の所を訪問したり、陸士仲間で惜別の歌として歌われた遠別離のテープを作ったりもしました。虫の知らせというよりも男の美学で自分の晩年の締めくくりをきちんとしておきたいという気持ちがあったんではないでしょう」と記している(月刊「文芸春秋」2月特別号)。男の美学、つまり士官候補生の矜持でもあったであろう。
 テープ200本が出来上がったのは梶山さんが亡くなった(平成12年6月6日)後であった。その年の10月25日、ホテルグランドヒル市ヶ谷で開かれた「梶山さんのお別れ会」で集まった90人の同期生に「遠別離」のテープが配られた。
 いまそのカセットテープを静かに聞く。
 程と遠からぬ旅だにも
 袂わかつは憂きものを
 千重の波路を隔つべき
 きょうの別れを如何にせん
 
 われも益荒夫いたずらに
 袖は濡らさじさはいえど
 いざ勇ましく行けや君
 行きて尽くせよ国のため

(柳 路夫)

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