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フランス映画祭横浜’98上映作品4 「夢だと言って」 大竹 洋子
フランス/1997年作品/カラー/100分 5月の末から6月にかけてパリに滞在していたあいだ、町のそこいら中で見かけた映画のポスターにこんなのがあった。大きな牛にキスをしている上半身裸の青年、彼は少し知恵遅れのような感じである。これが、帰国してすぐに参加した今年のフランス映画祭横浜で、私が一番感動した作品、「夢だと言って」だった。 舞台はフランスの田園地帯。ポスターでなんとなくそう思ったように、主人公で20歳になったばかりのジュリアンは、知能の発達がやや遅れている。可愛がっている牛とほぼ一心同体で、彼がいつも手放さない毛糸の黄色いマフラーは、時にはその牛の首にまきつけられていたりする。家族は両親と祖母、それに妹と弟の計6人で、この人々はみんなごく普通である。すなわちジュリアンだけが、子どもの心をもったまま大人になってしまったのだ。 ジュリアンは、閉じ込められた動物たちを見るのが嫌いである。だから牧舎につながれたよその家の牛も、車の中に残された他人の犬も、みんな外に出してしまう。ジュリアンの行動は次第に大胆になり、隣近所から苦情が絶えなくなってきた。施設に入れたほうがよいのではないかという意見も出てくる。しかし両親は、そのつどきっぱりと拒否する。ジュリアンも絶対にいやだという。家の中にだんだん重苦しい空気が漂うようになり、そしてある日、一家の秘密が明らかになった。この家には、重度の心身障害者の長男がいたのである。彼は生まれ落ちると同時に隔離され、母ジャンヌもわが子を見たことが一度もなかった。 ここから、いよいよジュリアンの活躍が始まる。兄の存在を知るや、ジュリアンは愛用のバイクに飛びのって、施設から兄をさらってしまう。バイクの後ろに兄を乗せ、途中で出会った親切な人々の助けを借りながら、ジュリアンは遠い町をめざす。しかし、夜は更けるし、おなかは空くし、結局、ジュリアンはわが家の納屋にかくれることにした。そして、そこで家族の一人一人が長男と対面することになる。 上映が終わったとき、大きな拍手がおきた。みんな同じ気持ちなのだと思うと、私はうれしかった。舞台の上には監督、父親役、ジュリアン役の俳優の3人がいた。中年の女性が立ち上がって、大変感激しました、今の日本にこういう映画が必要です、と述べた。自分は社会福祉の現場で働いているといい、その目は涙で一杯だった。 クロード・ムーリエラス監督は、田舎に住む一つの家族の物語りとしてこれをつくったといったが、そこには間違いなく真実がきらりと光っていた。小さな声ではあるが、大切な問題提起が行われたのである。デビュー作「MONTAVO ET L'ENFANT」で1989年度のジョルジュ・サドゥール賞(世界の新人監督の1作目か2作目に贈られる)、3作目の「夢だと言って」で今年のジャン・ヴィゴ賞(フランスのその年の問題作に贈られる)を受賞したムーリエラスは、1953年リヨン生まれの45歳、よほどの才能の持主と思われる。 明方の庭で車椅子に座って空を見上げている長男を、背後からじっとみつめる母の姿が印象的だったミュリエル・メイエットは、コメディ・フランセーズのヴェテラン女優。革命を夢み、宇宙人との交信が最大の喜びという父リュックは、名脇役として知られるフレデリック・ピエロが演じた。そしてジュリアンは、数学と物理を専攻する大学生ヴァンサン・デュネリアーズ。彼はスノーボードのチャンピオンなので、ぼんやりしているはずのジュリアンがときどき敏捷すぎるきらいもあるが、実に適役である。息子夫婦の偽善をさとし、この物語の転換のきっかけをつくる祖母、ガールフレンドをジュリアンに追いかけ回されて迷惑至極の弟、物事の本質をすぐに見きめることのできる妹と、そろって素人を起用して、これが作品を見事に成功させている。エンディングの音楽、「コマンダンテ・チェ・ゲバラ」は監督の好きな曲だという。 公開未定。問い合せはユニフランス・フィルム(03-5261-9309)へ。 このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。 |