安全地帯(200)
−信濃 太郎−
人の命は我にあり、天にあらず
貝原益軒の「養生訓」(伊藤友信訳・講談社岳実文庫)を読み始める。第一刷が1982年、私の手元にあるのが2007年4月20日で46刷である。25年間に46回の刷り増しだからよく読まれているということであろう。82歳になって読むのでは遅すぎるという気もするが、ともかく寿命は自分で養生して決めるもの。「気」をよく体中に流し、とどこらせては体に良くないということが分かった。「人の命は我にあり、天にあらず」はよい言葉だ。私は「自分の体を守るのは自分自身だ」と前からそう思っている。
今年の10月31日、ちょっとしたアクシデントに見舞われた。九段の事務所で午後2時過ぎ、息苦しくなり、とたんに体がぐらぐらしだした。するとめまいがしてきた。意識はしっかりしているがしばし口がきけない。「このまま逝くのかな」と一瞬思った。そばで仕事をしている同期生の上田広君の娘さんの敦子さんに「ちょっとおかしい。水をくれ」と頼んだ。彼女は水を持ってくれたあと同期生の医者、北俊男君に電話して指示を仰いだ。「意識があるのだから、近くの設備のある病院に連れてゆきなさい。そこなら慶応病院か東京女子医大病院だ」と北君は教えた。そこで敦子さんに付き添われてタクシーで東京女子医大病院へ行く。敦子さんの手際の良い交渉で急患扱いで待たされることなく神経内科で診断を受ける。胸部のレントゲン検査、頭のCT検査、心電図、血液検査を30分の間に済ませて、すべての結果が出たところで担当医の宇羽野恵先生の診断を受ける。どこも異常はありませんということであった。私は「先生の顔を見て落ち着きました」といった。
ほぼ自分なりに目まいの原因はわかっている。10月下旬に親しい友人が2人が亡くなり、相次いで大阪と福島へ出かけ、いささか疲れていた。そこへ9月下旬から同期生有安正雄君に触発されて佐伯泰英著「酔いどれ小藤次留書・御鑓拝借」ほか7冊と「居眠り磐根江戸草紙・陽炎ノ辻」ほか22冊合計31冊を1ケ月の間に読み上げ、いささか目が疲れていた。
11月5日立川で受けたMRI検査の結果が出たところで11月15日、宇羽野恵女医さんの診断を受ける。頭を輪切りにしたフイルムを見ながら血液がとどこっているところはどこも見当たりませんと明るい顔でのたもうた。患者さんがどこも悪くなくて本当によかったという表情であった。診断の合間で私は「薬と医者が大嫌いです」と言ったが先生は聞き流した。私は今回の病状を「気まぐれ目まい症候群」と名付けた。11月6日に同じような症状に襲われたが、それ以降その症状は表れていない。6日以降食事は「腹6分目」、睡眠時間は十分取り、朝起きた時と寝る時にコップ一杯の水を飲むようにしている。
「養生訓」はすべてを受け入れようと思わないが喜、怒、憂、思、悲、恐、驚の7情が過度になるのはいけないとか「唾液は体のうるおいである。血液となるものである。大切にして吐くものではない」という教えは守ってゆくつもりである。 |