2007年(平成19年)12月20日号

No.381

銀座一丁目新聞

上へ
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
いこいの広場
ファッションプラザ
山と私
銀座展望台(BLOG)
GINZA点描
銀座俳句道場
広告ニュース
バックナンバー

山と私

(40)
国分 リン

−雪中行軍「安達太良山」山の厳しさを知る

 この時期の安達太良山は毎年恒例で、今年は縦走の計画で早速申込をした。
安達太良山は今年どんな表情で私たちを迎えてくれるのか。宿の新野地温泉は毎年楽しみにしている秘湯の宿で、思い出がたくさんある。
 11月17日(土)晴れ 参加者は何人かなと楽しみに行くと尾形先生と11期生1人、12期生3人とMさん夫婦と私の8人、バスの中も何か寂しい。でもお天気が良いので、那須連峰の白い姿を車窓越しに見ながら郡山へ。郡山市のある中通りと猪苗代湖の間には奥羽山脈の千b前後の峰々が連なる。額取山は安積山と万葉集にも詠まれた。八幡太郎義家ゆかりの展望の山で,今回は尾根続きの大将旗山(1086m)が目的地である。湖南町へ向かう道へ入り、御霊櫃峠へ到着。駐車場はたくさんの車、手軽に登れるので、地元の人たちとすれ違う。かやとの展望の良い尾根道を1時間ほどで大将旗山到着。猪苗代湖が左前方に飯豊連峰の白い峰もくっきりと見え、磐梯山はよく見えすぎて、あちこちスキー場に開発されて哀れを感じた。子供のころ飯豊と磐梯に囲まれ育ったその風景は、懐かしい。ゆっくりお茶を飲み、先生の戊辰戦争の歴史講座に耳を傾けた。会津坂下に中野武子のお墓があり、娘子軍で戦った一人と教えられていたことを思い出した。今度田舎でお墓を訪ねてみよう。
 母成高原から中ノ沢温泉をとおり、いつもと逆コースで新野地温泉へ、吾妻小富士や一切経山が雪を被り白く、鬼面山も白くなっていた。新野地温泉はお勧め、特に露天風呂は最高で時々吹き上げる源泉の白い蒸気と、月明かりと星を観ながらゆっくり浸かればよい。夜9時頃から雪が降りだした。
 11月18日(日)雪 6時に朝食をきちんと準備してくださる宿のサービスに感謝しながら、麦とろご飯と大きな器のきのこ汁は毎年ながらうまい。風と雪では縦走は無理との先生の判断でいつもの奥岳から勢至平経由くろがね小屋で休憩。雪は降り続き景色は何も見えず、雪山体験始めての試練だ。尾根は風が強いので巻き道で少しずつ高度を稼ぎ、でもラッセルするほどの雪でないので、逆に私は歩きやすく助かるかなと思う。それにアイゼンはいらないとの判断でバスにデポし、荷物は軽い。出発の直前の光にだまされ、カメラをザックに入れ、一度もシャッターを押す機会がないのは、とても残念。ひたすらもくもくと登り安達太良山到着。(1700m)この吹雪に岩(乳首)を登っても何も見えないので待つことにして、始めての3人は登って20分ほどで戻る。待つ間この何も見えない白い世界は一人で戻ることが出来るか、まだまだ勉強不足を感じた。
 岳人、登山家、登山客、ただ登る人の違いを教えられたが、まだ登山客の一人でしかない自分を反省した。下りは早く、ゴンドラ乗り場へ到着。しかし乗り場は鍵がかかり人の気配も無。がっかりしたが歩いて下るのが筋なので、歩き出す。スキー場へ着きこの斜面は滑るので気をつけたが、転んで泥まみれ。
まあバスに乗れるように水で汚れを落としやっとバスに到着。12時には岳の湯へ入り人心地。帰りのバスの中、先生が用意されたビデオ鑑賞が楽しみである。特に今回の「K2登山隊・白き氷河の果てに」はナレーションと音楽が好きで最後までじっくり観た。創作でなくドキュメントだから、なおとても心に残るビデオであった。
 来年こそ安達太良連峰の縦走を実現させたい。

このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。(そのさい発行日記述をお忘れなく)
www@hb-arts.co.jp