2007年(平成19年)12月10日号

No.380

銀座一丁目新聞

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山と私

(39)
国分 リン

−我が故郷の奥山「志津倉山」はブナの山

 紅葉狩りは会津の山に限ると私の持論で、スポニチの尾形先生に提案した。
それは賛成と今回の計画になった。友達へ「見でくんチェ会津の紅葉はすげがら」訛交じりになりながら誘う。会津人の情に触れてもらいたいな。今年の紅葉はいかにと期待が膨らむ。
 10月20日(土)晴 登山学校の生徒10人と尾形、宮崎先生の12人で小さなバスで出発。那須から塩原温泉沿いの渓谷は9月の陽気が暑く、まだまだ紅葉には早く、緑が濃い。会津田島へ着き今日の目的地「駒止湿原」へ。標高約1100mの台地状山地に発達した湿原群である。私は水芭蕉の時期と昨年の秋に訪れ紅葉を満喫した。駒止湿原では、台地状のくぼみごとにいくつもの湿原が形成されている。そのため低層湿原から、中層、高層湿原へと移り変っていく様相が観察できるのが特徴である。低層から高層とは堆積の進行状況を示す言葉である。いろいろな湿原植物とその花を見ることができ、その価値は尾瀬に劣らぬものがあり、1970年に国の天然記念物に指定されたと、ガイドブックに書かれていた。お待ちかねの紅葉は素晴らしかった。楢や栃の葉が黄色に色付いた。少し登ると「大谷地」の木道、私達のグループ以外誰もいない、静かな自然と空気が最高である。30分程で開拓農道に出て進むと、「白樺谷地」の案内看板があり、ミズゴケの高層湿原での植生の説明が詳しく書かれていた。ミズゴケも赤くなり、草紅葉になっている。ブナ林を通って「水無谷地」ここはきれいな水が流れ、また緑と赤のコントラストがよく、皆思い思いにシャッターを押していた。ピストンで引き返し、駐車場へ戻る途中はススキの台地、ヒロハツリバナの大木を見つけ喜んだ。赤い実がはじけかわいい。ゆっくり紅葉狩をしての3時間行程であった。昭和村の民宿泊り。友を誘い近くのお店で、棒たらや細く切った干たらを求めた。会津越冬の栄養源である料理法を教えてもらった
 10月21日(日)朝方激しい雨音に心配したが、7時の出発頃には雨が止み、「志津倉山(1234.3m)」へ向かう。三島町、昭和村、柳津町の三境に位置する。
細い道の不動沢林道を南に大辺峠てまえの橋を渡ると駐車場があり、そこでバスは待機。登山道入口には立派な案内板がある。大沢沿いに歩き出すとすぐに「志津倉の鐘」がありこの山行の安全を祈りカンと鳴らす。細ヒドコースへの
分岐を過ぎ、しばらく沢沿いのゆるやかな登り、すると大きな一枚岩(スラブ)雨乞岩が右手に見えた。その昔、干ばつに苦しむ農民たちが、この岩に集まり、祈祷をするとたちまち雨が降ってきたという伝説の場所だ。晴れていればこの岸壁をバックの紅葉の素晴しさはと思うと残念だ。雨乞岩を右手に見ながら大沢沿いに登り1時間、水場で休憩。ここから急峻なシャクナゲ坂の登り、松の根を捕まえ、気を抜けず夢中で高度を稼ぎ、鎖場を登りきると一の岩、怖いなと思うと体が硬くなり動きが悪く登れず時間がかかる。やっと登りさらにヤセ尾根を慎重に登ると三本松で休憩。ここからは緩やかな登りとなり、ブナの原生林に変わり、やがて広い稜線、ここがブナ平かなと思いながら色付き始めの広葉樹林の中をるんるん気分で志津倉山山頂(1234.3m)到着。先客が1パーティのみ。ここから天気が良ければ北西に御神楽岳、北に飯豊連峰、東に磐梯山、南に那須連峰、七ガ岳、田代山、帝釈山などを望めますとの、先生の説明に残念、天狗のウチワを頼みたい心境だ。下山は西へ尾根伝えに見事なブナの原生林の中、傾斜はどんどん急になり、まさかのロープやクサリ、ハシゴがあり、慎重に下る。糸滝を過ぎるとようやく道がゆるくなり重厚なブナ林にきのこ探しが始まり、一本の立ち枯れブナにいろんな種類のきのこが見られた。ザックを置き、その木に群がりブナ張り茸はと思いながら袋に入れた。細ヒドコースの立て札で休憩。ここはブナ林の黄葉に囲まれ心が和む。ようやく登った道に合流し「志津倉の鐘」を感謝の気持ちで叩き、今回も終わった。短時間で登れる山ながら変化があり、ましてブナの原生林に囲まれての登山は楽しい。会津の昭和村の宣伝をすれば昭和温泉も良いし、新そばの盛りも良いし、うめがったごと。なお、私たちが採ったきのこは、地元の人は「食わんに」と駄目だしでした。

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