2007年(平成19年)10月10日号

No.374

銀座一丁目新聞

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茶説

新聞は没落するか

牧念人 悠々

 新聞はインターネットに読者と広告を奪われ、やがて新聞は消滅するとさえささやかれている。米国新聞協会によれば2006年、日刊紙の平均発行部数は5233万部2000年の5577万部に比べると344万部の減少である。日本とて同様である。2006年一般紙の部数は4705万部であった。2001年の4755万部に比べると50万部の減少である。インターネットの普及だけでなく若者の新聞離れは10数年も前から指摘されていた。今後ネットで特ダネニュースを読む機会が多くなるし、新聞の部数が減ることは間違いないが、新聞がなくなることはない。紙の媒体はそれなりの役割がある。面白味もあり、効用もある。
 その手掛かりの一つはケイタイ小説である。3、400万人の中高校生が読んだケイタイ小説が出版されると100万以上売れ、ベストセラーになるからである。ケイタイ電話の画面で読んだものをもう一度「本」で読み直すのである。中高校生に感動を与え、共感を呼ぶものは読まれ、売れる。
また「活字離れ」と言っても著名作家の小説は2、300万部売れている。面白いもの、男女の愛を追求したもの、異常体験、知識意欲を満たすものなどは多くの読者をひきつけている。最近こんな経験をした。自宅が同じ方向にある友人と中央線に東京駅から乗った。友人は武蔵小金井駅で下車するまで読書に専念した。下車の際「本」の題名を聞くと佐伯泰英著「龍笛嫋嫋」-酔いどれ小藤次留書―(幻冬舎)であった。早速買って読んでみたら面白かったので既刊の「御鑓拝借」など7冊を買って10日ほどの間に読破した。ネットではこのようにはいかない。
「事実は小説より奇なり」といわれる「事実」を扱う「新聞」が読まれないはずはないではないか。新聞の使命は「報道」「解説」「評論」と言われている。報道は速報性についてテレビ・ネットに負けるかもしれないが、社会・経済・政治記事の深みは新聞が優れている。まして考えられない、予想もできない事故・事件・現象が頻発する昨今、解説・評論の重要性はますます増す。新聞記者もそれなりに勉強をしなければならない。「事実」の扱いにひと工夫がいるような気がする。事実を直視ながら情報の厚み・価値の付け方をする。つまり記事を面白く読ませる工夫である。
 新聞は手にとって読むところに価値がある。画面と印刷された文字は脳に対する刺激が異なる。何げなく読んでいた短い記事が商売のヒントとなることが少なくない。時には時代を見ぬく端緒ともなる。新聞はその意味では「コラム」「短信」(外電・科学)を増やす必要があろう。新聞が生き抜くためには新聞人としての志と矜持を持つことだ。そのために何をすべきかを常に考えよ。

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