2007年(平成19年)10月10日号

No.374

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安全地帯(193)

信濃 太郎

快男児 星野 光さんを語る

 群馬山岳連盟会長、星野 光さん(萬屋建設会長)を知り合ってから17年になる。ゴルフを一緒に楽しみ、カトマンズでもプレーした。パーティーで雑談し、時に応じて話をする間柄である。度胸があり、へそ曲がりだが一本筋を通す人柄である。私と同じくたばこもお酒もたしまないことが何よりもよい。最近出された自伝「高きを求めて」を読んで思い当たる節が多かった。興味深く読んだ。
星野さんは天の邪鬼である。早稲田を卒業の際、国土計画の「ヤル気ある者集まれ。面接のみ。筆記試験なし」の募集案内を見て、受験してみると試験は、社会、数学、論文が用意されていた。星野さんは社会、数学の解答用紙は白紙で提出、論文は「法治国家について論ぜよ」のテーマにもかかわらず「「私は騙された」と書き出し「早稲田大学体育会(星野さんは空手を学ぶ)の先輩で衆議院議長である方が我々後輩にウソをつくとは何としても我慢ができません」と論文を提出した。面白い男だというので堤康次郎さんが秘書として採用した。
堤義明さんとも「万座」「苗場」とよいスキー場づくりをしている。群馬県にプロ野球の公式戦を持ってきたり群馬県のアイスホッケーチームを強くしたりするのに努力する。どこを押せば仕事(事業)ができるかを星野さんは心得ている。得難い人である。
1984年、群馬県の県会議員のときに頼まれて山岳連盟の会長となる。会長の初仕事は「冬季アンナプルナー1峰登山」の資金集めであった。上毛新聞に一ページ全面広告を出して県民の協力を呼びかけ、たちまちのうちに2500万円の資金を集めた。星野さんの6回にわたるヒマラヤ遠征で最高到達点はポカルデピーク5806メートルの頂上である。堂々たる山岳連盟の会長である。
 私との出会いは平成2年(1990年)4月10日、前橋市の群馬ロイヤルホテルで開いたスポニチ前橋支局開設披露パーティーの席上である。このときにサガルマータ冬季南西壁登山計画の話が出て支援を頼まれた。私は即座に引き受けた。星野さんのおかげでスポニチの部数は増えるし、スポニチ本社にはエベレスト山頂(サガルマータ・8848メートル)の記念の石が飾られてある。こんな新聞社は世界を探してもない。
 山男として堀江謙一さんの「マーメイド号」の成功に疑問を投げる。1989年世界最小(全長2・8メートル)のヨットでサンフランシスコ〜西宮間の太平洋を横断したとき、成功を疑問視した「週刊文春」に星野さんは賛意を表する。マーメイド号が日本の近海にたどり着いたとき、強い海流に流されて、乗り切ることができなかったため堀江さんが無線で連絡、後援していた新聞社が動力船をむかわせてゴール手前まで引っ張って成功させたというのである。これをNHKテレビが「人類のあくなき挑戦」として番組に取り上げた際、星野さんは「成功と言わない方が良いのではないですか」と抗議する。筋の通らない話にはあくまでも反対する。彼らしい話しである。自分の人生を振り返って「常に運がついて回った」というが運も自分の性格のうちである。何事にも筋を通す性格が幸運をもたらした。その意味では幸せな人である。

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