2007年(平成19年)10月10日号

No.374

銀座一丁目新聞

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山と私

(35)
国分 リン

−夢の実現 スイス・ブライトホルン登山−

 ツールドモンブランから5年、あの感動からヨーロッパアルプスの山へ登りたい夢を持ち続けた。スポニチ登山学校仲間Yさんがネパールへ3年連続行ったので、今年はスイスへ行くので同行しての依頼に喜んで受けた。Yさん知り合いのアドベンチャーガイズ社に要望とスケジュールを依頼、二人だけのスイス紀行が実現した。

 7月7日(土)成田発10時55分オーストリア航空便でウイーン経由チューリッヒ19時着。
時差7時間、行きはよし。AG社社長の国際山岳ガイド連盟公認ガイド資格を持つ近藤謙司氏の出迎えを受け、予定より1時間前の電車に乗るため走る。実は
私の希望でバスの移動でなく鉄道の旅である。便利なスイスカードなら乗り物が全て半額適用で観光国スイスのサービスと感心した。近藤氏の流暢なドイツ語でチケットを手に入れホームへ、映画でよく見た国際特急のシートは乗り心地もゆったりで混雑も見られない。近藤氏より色々スイスの紹介を受け、車窓からアイガーの北壁が見えるよといわれ、白い大きな頂に圧倒された。22時50分終着駅グリンデルワルトヘ到着
 7月8日(日)早朝Yさんと散策に日本人観光客の多さに驚く。スポーツ用品店・お土産店・刺繍屋さん・ホテルやレストランが殆んど、でも時間帯が合わずここの名物刺繍のお土産を買えなくて残念。大きな荷物をチッキ便でミューレンに送り身軽にザック一つで10時の登山電車に乗り込む。グランドでゴンドラに乗り込み周囲の景色を堪能する。近藤氏にマーモットがあそこに、周囲の山々の名を一つずつ丁寧に教えられ、まだまだ奥の深い凄い人物と知る序章である。メンリッヒェンからいよいよハイキング、色々な服装と年配のカップルや子供連れが皆雲上のハイキングを楽しんでいる。アルプスの3大名花のアルペンローゼ・エンチアンが咲いていた。ヴィオラや和名悪魔の爪の紫が嬉しい。近藤氏のシャワーが来るよと予言した通りクライネシャイデック到着の10分前に雨が降りだし走ってレストランへ。若い日本人に近藤さんと呼ばれ知り合いらしい。ここはユングフラウヨッホへの基地らしく日本人の波である。レストランは混雑で、日本人の相席になった。予約席は日本人ツアー客用で、日本人なしではスイス観光は成り立たないのではと思う。天気が悪いので予定を変更してトップオブヨーロッパの登山電車でユングフラウヨッホへの登山電車へ乗り込む。この電車は日本の明治時代に出来たと教えられ驚く。クライネシャイデック駅(2061m)は雨、景色は残念ながら霧の中、アイガーのトンネルの中20分ほど登ると、アイガーバンド駅(2885m)アイスミール駅(3160m)は観光用に窓が切られ、外の景色が見渡すことが出来、5分の停車時間が設定されてトンネルの中の清涼剤である。電車の終着駅から氷河を彫った大きな氷の宮殿へ、とにかく凄い観光施設に驚く。次にスイス最長のアレッチ氷河上に降り立ち粉雪が舞う何も景色が見えないがとりあえず記念撮影。次はスフィンクスビューポイントへエレベーターで一気に3454mもうこの時間帯は人もまばらでいい感じの景色を望むが残念、リサーチセンターで葉書を買い各々日本へ無事の報告を書くが、息を止めたら高山病の兆しでYさんの気分が悪くなり心配するが、最終電車の時間(18時5分)になり、急いで下山。今夜の宿のアイガーグレッシャー小屋へ19時到着。明治時代に出来た小さな城のような宿は、スイスならではと思う。
7月9日(月)この宿の裏に槙有恒さんが明治時代にアイガー登山の為に建てた山小屋が移築され是非日本人なら観なくてはと案内された。小さいながらしっかりした石造りで人形が置かれているが、今もお世話になることがあると近藤氏の話である。100年前にスイスアルプスをどう登ったか、想像するだけで楽しい。
登山電車でクライネシャイデック駅に戻りベンゲン行きの電車に乗換2時間45分の電車の旅も窓外の景色を楽しみ、あっという間にベンゲン到着。生憎の雨
傘を差し日本人が殆んどいない町を散歩、色のコントラストが素晴らしい。レストランの屋根に牛一頭が乗っているが愛嬌があり面白い。ここに近藤氏の知り合いで札幌オリンピックにスイス代表で來日されたホテルを訪問する。お勧めのランチを昼からワインで食す。ここのホテルの調度品は歴史が感じられとても珍しいものが飾られている。時間がゆっくり流れるような佇まいである。更に驚いたことに車は制限され、ゴミ収集車と救急車が電気自動車で、大気を汚さない政策が採られている。ポストバスに乗りトロンメルバッハへ向う。ここは牧草地の地下の氷河が集結し岩を砕き削り流れ落ちる様子を観光できるようにエレベーターと階段が作られている。雨の降り続く滝はマイナスイオンを通り越してずぶ濡れ状態、でもスケールが大きく日本では考えられない楽しさがある。ラウターブルンネンからゴンドラを乗り継ぎミューレン駅へ、ここで思いもかけない展示品と写真があった。ヨーロッパ三大北壁を登頂された今井通子さんとお仲間たちの物である。スイスの奥深さと、今井さんの偉大さを改めて思う。きれいな花たちに囲まれた家をキョロキョロしながら歩くと今夜のホテルブルメンタルへ到着、ミューレンの印象はチョコレートで造ったような家や、ハイジやペーターと小羊を玄関前に置き、漫画の世界へ誘う。
 7月10日(火)相変らずの雨降りで今日もハイキングは無理、朝食をロープウェイ2本乗りついたシルトホルン(2960m)の展望レストランへ。見事に雪がちらつき空想の世界。お客もまばらである。この高度に160席の広さで1時間に1周するコンクリート製のしっかりした建物である。見事なまでの観光施設である。のんびりと天候の回復を願うがあきらめて、ミューレンへ戻る。近藤氏の提案でツェルマットへ早く移動したほうが青空を望めます。のお勧めで登山電車やロープウェイを乗り継ぎインターラーケンオストからスピッツの峠町、天候も回復の兆し、車窓からの眺めは飽きることが無い。ツェルマットの宿は近藤氏の常宿のホテルに決定。町の中心にありとても便利。ここは観光地らしく日本人の団体が多い。20時に夕食へまだ明るく日本語のメニューの看板を架けたお店でエスカルゴを始めて食す。美味しくやみつきになりそうである。
 7月11日(水)まだ曇りだが今日はマッターホルン(4478m)アルプスの女王に最も近い山小屋ヘルンリ小屋を目指して歩こうとバスに乗りゴンドラをフーリで乗り継ぎシュバルツゼー駅到着。準備を整え歩き出す。始めてスイスの山を心躍らせて歩く。高山植物が目を和ませてくれる。苔マンテマのグリーンとピンクがあちこちに咲いている。ブルーの星形ゲンティアナ・オルビクラリスが群を成し咲いている。少しずつ登り、残雪の道を歩く。青空が見え隠れして、待っていた周囲の山々が姿を現した。あのマッターホルンもとうとう見えた。でもまだ流れる雲が頂を隠す。いよいよヘルンリ小屋手前の登り、近藤氏が今日はここまでで戻ります。ゆっくり休憩をし、グリンデルワルトから持っていたネクタリンの美味しかったこと。心も晴れ晴れとゆっくり周囲の景色を楽しんで戻る。シュバルツゼー駅近くになると、待ちに待った太陽が暑い位に顔を出しマッターホルンと記念撮影が嬉しい。フーリのレストランでブライトホルンを目指した日本女性6人が今日は風が強くガイド野駄目の一声で戻った話を聞く。取り放題の野菜サラダと干し肉でビールがおいしい。 
 7月12日(木)晴れて気持ちが良い。ゴルナーグラート鉄道に乗る前にコープでランチパックとトマトを買いザックに入れて登山電車へさすがに混雑しているが、登山電車からの眺めは素晴らしい。45分で終点ゴルナーグラート展望台(3090m)観光客で大賑わい。セントバーナード犬が記念撮影用にいて、Yさんは犬が苦手らしくお尻で突き飛ばされた。私は嬉しかった。モンテローザ・リスカム・ブライトホルンの雪で白く輝く頂はもう何も言うことはない。混雑から離れハイキングをしてリッフェル湖へ、マッターホルンが湖へ映る。カメラを片手に思わず走り映す。この素晴らしい景色の中でのランチ、もう何もいらない。近藤氏がエーデルワイスの咲いている秘密の場所へ案内してくれた。うれしい。日本人のツアー客たちはその横を夢中で歩いている。リッフェルホルンでクライミングをするの声で、絶対冒険は駄目の友達の忠告を思い出す。
近藤氏とザイルを結んで岩登りの誘惑、Yさんは上手く登るが、私は忽ち恐怖にかられ弱音を吐きながらも、戻れないのだから登るしかない覚悟でやっと頂上に立った。震えが止まらなかった。岩が苦手もはっきり分かった。懸垂下降で降ろされ、下で近藤氏の降りる様を思わずシャッターを押した。格好いい。
リッフェルアルプで景色をつまみにビールが格別の味である。
 7月13日(金)フーリ、トロッケナー・シュテックとロープウェイを乗り継ぎクライン・マッターホルン駅(3883m)に到着。スキーを担いだ人も一緒。スキー用リフトが動き、雪がたっぷりある。アイゼンを付けロープをアンザイレンしてスタート。近藤氏を先頭にYさん,私,河野さん(シャモニー在住の20代女性)の4人、1時間程歩き休憩、雪の中登山道は一列、これから急騰少し苦しいかなと思ったら近藤氏のアドバイスで助けられた。10時30分ブライトホルン頂上(4164m)到着。10畳ほどの広さに先客のグループが一組。360度展望である。近藤氏に感謝を伝え、やったねとYさんと握手。日本の雪山と違い4000m峰の連なりは大きい。モンテローザがいいよと教えられていたが、なかなか手強そうである。下りは慎重に一回りして帰ろうとナイフリッジの様な左右切れ落ちた道を慎重に下る。すれ違いをどきどきしながら相手が上手く避けてくれ下ることが出来た。安全地帯になってゆっくり一休み、この広い自然に人間の小ささがよく判る景色である。今回は雪の状態が良く、クレパスや雪崩もなくラッキーである。クライン・マッターホルン駅からのロープウェイは一旦ロープでゆっくり下へ、それから引き上げる方式で日本では見られない。フーリのレストランで乾杯をして戻る。最後の夜食は牛肉のしゃぶしゃぶに、もう肉は沢山状態であまり食欲のない2人で、食事が合わないねと二人の感想である。
 7月14日(土)早朝5時にツェルマットを出てジュネーブ空港から10時25分発の飛行機に乗り、長い空の旅で、7月15日(日)8時30分成田到着で終わった。

スイスの感想は何を置いても環境問題に真剣に取り組んでいる姿を直接感じた。
電気自動車が静かにゆったりと、空気が上手く感じる。
観光に対する姿勢も歴史があり、真摯に取り組み観光客を大事な国の客としてもてなしをしていることを感じた。

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