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フランス映画祭横浜’98上映作品3 「ジャンヌと素敵な男の子」 大竹 洋子
フランス/1997年作品/カラー/98分 ミュージカル映画といえば、すぐに思い浮かべるのは「雨に歌えば」や「パリのアメリカ人」などアメリカ製の数々だが、フランスにも忘れられないミュージカルがある。ジャック・ドゥミ監督「シェルブールの雨傘」 (64)、世界の映画史の一頁を美しくかざる作品である。はじめてこの「シェルブールの雨傘」を見たとき、笑い出したくなるような違和感があった。アメリカのミュージカル映画が、私の物指しになっていたからである。しかし今、「シェルブールの雨傘」は私のもっとも好きな映画の一つで、あのラストシーンはしみじみと悲しい。なぜこんなに「シェルブールの雨傘」にこだわるかというと、「ジャンヌと素敵な男の子」が、この「シェルブール…」の流れをくむフランスのミュージカル映画だからである。そして、ジャンヌ役は人気スターのヴィルジニー・ルドワイヤンだが、相手役の“素敵な男の子”オリヴィエを演じるマチュー・ドゥミが、ジャック・ドゥミの忘れ形見だからである。ジャック・ドゥミは 1990年に白血病で死んだ。マチューは母であるフランス一の女性監督、アニエス・ヴァルダの作品「歌う女・歌わない女」 (77)に幼児出演し、「カンフー・マスター」や「アニエス・Vによるジェーン・B」(87)で美少年ぶりを発揮していた。アニエス・ヴァルダさんと親交のある私は、マチューは親戚の男の子のような気がする。そのマチューが、若い頃の両親が力を合わせてつくった「シェルブールの雨傘」によく似たスタイルの作品の中で歌い出せば、やはり感無量にならざるをえない。ヴィルジニー・ルドワイヤンは吹き替えだが、マチューは自分で歌っている。若くて美しくて周囲の男性にもてもての OLジャンヌは、複数の恋人をもち、どの恋人とも均等に楽しくつきあっているからとても忙しい。しかしいつも何か物足りなさを感じてもいる。そんなある日、ジャンヌはメトロの車内で向い側の席に座った若者、オリヴィエにひとめぼれした。彼こそジャンヌが待ち望んでいた運命の男性だった。二人はたちまち恋におちる。だが、オリヴィエはHIV感染者だった。オリヴィエがそのことを告げても、ジャンヌの情熱はおとろえることがない。そして、それから間もなくオリヴィエが発病、ジャンヌの前から彼の姿が消えた――。オリヴィエの行方を探し尋ねる過程で、これまで見えなかった人生の真実がジャンヌに見えてくる。両親の姿、姉の生活、勤務先の内情、虚栄に生きる人、市井でささやかに暮らす人、ジャンヌは、はじめて同性愛者の街頭デモにも加わる。ジャンヌの足が、地面にしっかりついてくる。しかしようやく探しあてたとき、オリヴィエはすでに死んでいた。 花火のように短かった恋の日々。オリヴィエの埋葬に駆けてゆく途中で、ジャンヌは墓地の砂利石につまづいて転んでしまう。起き上がれずに、思わず泣き出すジャンヌをとらえて映画は終わるが、やがてジャンヌが立ち上がり、しっかりと生きてゆくことは充分に想像できる。 見方によっては、日常茶飯事のようにボーイフレンドを漁る女の子と、エイズに感染しているのに魅力的な女の子とつきあおうとする男の子、インモラルで身勝手な若者の生態ということにもなるであろう。しかし、若者たちが陥りがちな状況を、エイズに関する知識をふまえながらさらりと描き、たとえどのようなことがあろうとも、人生はつづいてゆくのだ、というのがこの作品の意図と思われる。 「シェルブールの雨傘」は台詞も音楽になっていたが、この作品では、日常の会話は普通の台詞で、それが音楽に流れるように変って行く仕組みになっている。監督はオリヴィエ・デュカステルとジャック・マルティノーの二人で、彼らは親友同士だという。共に初監督作品で、仕事の分担はなく、二人で一緒につくったのだと口を揃えていっていた。本当に仲がよくて、 舞台では“今日わ、お元気ですか、横浜にこられてうれしいです”と、日本語で双子のように挨拶した。私は「シェルブールの雨傘」が好きだから、この作品には格別の思い入れがある。だが、「シェルブール…」を見たことのない若い観客にも、この作品は優しく爽やかな印象と、胸にしみる何かを残すであろう。二人の監督と二人のプロデューサー(一人は女性)、そしてルドワイヤンとマチュー・ドゥミの6人が、映画祭のゲストとして来日した。現在、フランスで好評のうちに上映中である。 来春公開予定。問い合せはアルシネテラン(03-5467-3730)へ。このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。 |