亡くなった阿久悠さんのお別れの会が9月10日東京・ホテル・ニューオータニで開かれる。今年4月10日に開かれた「スポニチ文化藝術大賞贈呈式」でお会いしたのが最後となった。この賞が設けられた平成5年の第1回から今年の15回まで審査委員を務められた。「本音、友情、共感」のこの賞の特色に常にスパイスをつけられたのが阿久悠さんであった。第二回大賞にサガルマータ(エベレスト)を冬季南西壁から初登頂に成功した群馬県山岳連盟が選ばれたが、平成6年元旦の一面はサガルマータの頂上で隊員の持つスポニチ旗が、烈風にひるがえる写真が大きく載った。それに阿久悠さんの「きっと ことしは」のサガルマータ賛歌が寄せられた。素晴らしい詩であった。
さあ 時代が新らしくなった
萎えた心では進めない
うつむいていては先が探せない
嘆いていては歌えない
暗がりは光をみるチャンスと
ふり仰ぐことを考えよう
サガルマータの頂上で
あと一歩 あと一歩
壮絶な希望と絶望があったように
そして
最後の一歩が
希望そのものであったように
きっと ことしは
きっと ことしは
それぞれの人の胸に
快挙の旗が立てられる
ヒマラヤトレッキングに出かけた友人が現地での懇談会の際、この「きっと ことしは」を朗読したところ、皆から拍手を受けると同時にその詩を教えてくれとせがまれたという。
言葉を大事にされた。言葉は時代の壁から弾き飛ばされてこなければ駄目だといっていた。私は阿久悠さんが新聞や雑誌に書く文章を注目した。この人は「時代の風」を知る人であった。その意味では「先覚者」であった。よく新聞を読まれた。それも朝ではなく夜、読まれて重要な記事は必ず切抜きをされた。旅行の際には大きなカバンにスクラップブックを持参するのを常とされた。
阿久悠さんは「歌はこの世の魔美夢愛喪」という。私は「文は色は匂えど散りぬるを我が世だれぞ常ならむ」だと思う。
本名深田公之、昭和12年2月7日兵庫県淡路島生まれ.享年70歳であった。
(柳 路夫) |