札幌の北海道文学館で寺田京子さんの「日の鷹がとぶ骨片となるまで飛ぶ」の句に魅せられて札幌在住の親友、松岡嶢さんにその句集を探して欲しいと頼んだ。まもなくして第二句集「日の鷹」(昭和42年7月20日発行)と第四句集「雛の晴」(昭和58年6月1日発行)が送られてきた。第二句集はわざわざ図書館でコピーしたものであった。その友情に深く感謝した。
寺田さんは大正21年1月生まれで、子供のときから肺結核を患い体は弱かった。第二句集の「後記」によれば「病床の記録『冬の匙』(昭和31年)を出版してから10年になる。病むことより知らなかった私にとって、この10年は、社会にはじめて素裸で触れた歳月ともいえる。ないはずのいのちをつぎとめ、放送ライターの仕事をしながら、世のさまざまをみた。みることは、疑うことでもあろう。その意味で『日の鷹』は、迷いの句集というべきかもしれない」とある。年齢的にいえば35歳から46歳の頃である。「日の鷹がとぶ・・」の句は第二句集にある。「骨片となるまで」という表現は私には出てこない。その感性は凄いと思う。「死」を心の底に秘めながら強く生きたいという意思表示と見る。それがよく表現されている。実は昭和61年7月1日に出た「アサヒグラフ」増刊号「女流俳句の世界」のグラビヤページの「動物」に宇多喜代子の「死蛍夜はうつくしく晴れわたり」の句とともに寺田京子のこの句が選ばれている。毎日新聞西部本社にいた時で、横山白虹さんと知り合ったころである。俳句には関心があったもののあまり熱心ではなかった。この増刊号には好きな俳人金子兜太が「私の愛誦する女流俳句」の中に寺田京子の「樹氷林男追うには呼吸たりぬ」をあげる。男を恋うる句は第二句集にもある。「噴水や戦後の男指やさし」「ひとの夫欲しと青麦刈られおり」「雪迅しもだす嫉妬は手がかわく」「恋始まるごとき雪暁わがバス発つ」「傷だらけの屋根あり生涯恋をして」「マッチ擦るごとき恋の冬帽子」など・・・
「雛の晴」は第三句集「鷺の巣」(昭和50年発行)以降の句を収める。寺田さんは昭和51年6月54歳で死去するが、死ぬ1年頃からの句は心に響く名句が多い。「キリストの髯生やしたる毛蟹売り」「午後四時の冬三日月に手紙書く」「願いごと西にそびえて雪ふる嶺」「生きており雪の彼方の朝の汽車」「一生の嘘とまこと雪ふる木」「夜も昼も雪割る音の死病い」
寺田京子にこれから精進して一歩でも近付きたい。
私の事務所に遊びに来る女流俳人、千笑さんに「雛の晴」を見せたところ「凄い感性だわ」と驚いていた。彼女の最近の句を見せていただいた。「どくだみの花幼子の汚れなし」「栗の花雨雲湧きて重かりし」「鈴蘭のほのかな風となりにけり」
寺田京子が死んで今年で31年になる。俳句は明らかに女性が主流を占めつつある。「地の涯の花火後の空笑うかな」(寺田京子)の心境になるのはいつのことか・・・
(柳 路夫) |