2007年(平成19年)7月1号

No.364

銀座一丁目新聞

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追悼録(280)

渡邊襄元毎日新聞社長を偲ぶ

  元毎日新聞社長、渡邊襄(のぼる)さんの通夜に参列した(6月22日・西五反田、桐ヶ谷斎場)。小雨が降る中を政財界の知人、友人多数が参列した。参議院選挙を前に超多忙の安倍晋三首相が焼香に訪れたのは一際目立った。渡邊さんは安倍首相の父晋太郎元外相とは毎日新聞入社同期で二人とものっぽで、ともに東大法学部出身であった。実はのっぽはもう1人いた。渡邊社長の前任の社長の山内大介さんであった。山内さんも渡辺さんものちに政界入りした同期生・安倍晋太郎さんの応援を惜しまなかった。そのことを知れば、安倍首相の弔問は何等不思議ではなかった。
 山内社長(昭和55年12月〜昭和62年12月)時代の昭和58年の春、すでに繰上げ定年をして日本自転車振興会常務理事に転出、5年の空白がある渡邊さんを主筆に迎えるため臨時株主総会を開いて取締役に選任させた。社内では“晴天の霹靂”といわれ、本人自身も驚いたと述懐しておられる。万事に思いやりのある山内さんは孤独な社長業に本心を語れる友が欲しかったのではないかと想像する。一高、大学、毎日の同期生の絆が渡邊さんを結びつけたとしか思えない。山内社長急逝の後を受けた渡辺さんは社長の座に着く(平成4年2月まで社長)。
 渡邊社長とは政治部と社会部と部は違っても同時期にデスクをやり、紙面づくりに精を出し、論説委員も一緒であった。お互いに気心は通じていた。物事に執着せず、人と争わず、坦々たる性格であった。昭和63年12月、渡邊社長の進めで私は毎日西部会館社長からスポニチの社長へついた。私自身、西部本社の代表6年、毎日会館社長1年6ヶ月北九州市で次の仕事を考えて知人と医療財団の設立に向けて動いた時であった。私は新聞一筋に生きて生きた。スポーツ紙作りに興味は十分あった。喜んで引き受けた。会長在任中をもふくめてスポニチ時代は部数も増え、事業面も活発で、環境の先進国アイスランのヴィグディス大統領をスポニチ東京本社へきていただいた。また群馬県の山岳連盟の登山隊が冬季南壁からサガルマータ(エベレスト)登山を支援、登山隊が登頂に成功する快挙も成し遂げたし、経営も順調であり、楽しかった。渡邊社長のおかげと感謝の意を改めて霊前へ捧げた。渡邊さんは6月16日死去、享年81歳であった。

(柳 路夫)

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