2007年(平成19年)4月1号

No.355

銀座一丁目新聞

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追悼録(271)

生くべくんば民衆とともに

 弁護士、布施辰治さんは昭和28年9月13日、なくなった。享年73歳であった。すでに死後65年たっているのに、前進座の公演「生くべくんば 死すべくんば」―弁護士・布施辰治―を見て、いまさらながら深く感動した(3月23日・前進座劇場)。根っからの庶民思いの人であった。相手の立場にたってものを考える人であった。明治35年、その頃一番難しいといわれた「判事検事登用試験」に合格、司法官試補として宇都宮地方裁判所に赴任する。劇中、辰治の妻の光子(小林祥子)が「あの人は相手思いの人だから訴えられてきた人を全部、不起訴にしてしまうから裁判官には向いていないのよ」というように「民衆弁護士」であった。辰治(益城宏)自身が自戒を込めて「食事中だからと云うて待たせた客が昨日から飯を食わない失業者であった」と己を責める人柄であった。一幕の見所は朴烈(度会元之)と金子文子(黒河内雅子)を裁く裁判のシーン。朴(当時25歳)と金子(当時20歳)は大正12年9月3日保護検束される。関東大地震の三日後である。この時、朝鮮人が暴動を起し、井戸に毒物を投げ込んだという流言が流された。このため竹槍や日本刀で武装した自警団によって在日朝鮮人が6千数百人が虐殺されたといわれる。朴夫妻は治安警察法違反、爆発物取締罰則違反などで調べられるうち大正14年7月、大逆事件が発覚して大審院で裁かれる。朴は「朝鮮王の王服を着用を認めること。裁判官と被告席を同列にすること」などの条件を出す。辰治は大審院側と折衝して王族の礼装で出廷させる。朴は『憎悪のカガリ火よ、天を焦がせ。それは俺だ。絞首台で燃えよう。弁護は無用』と発言した(布施柑治著「ある弁護士の生涯」・岩波新書より)。朴烈の恩師寺岡倫代(妻倉和子)は朴の小学校時代に朝鮮人の誇りを忘れさせないために、朝鮮の歴史を教え、朝鮮語を勉強させたという。二人は大正15年3月25日とも死刑を言い渡されたが、後に、恩赦で無期懲役に減刑された。金子は大正15年宇都宮刑務所の栃木女囚支所で縊死、辰治は遺骨を引き取って朝鮮の朴家の墓地へ埋葬の手続きをした。金子は横浜生まれたが肉親の愛情に恵まれず、父の妹に連れられて9歳の時、朝鮮の釜山に渡った。17歳の時、上京、様々なアルバイトをしながらぢ苦学で勉強、頭脳は明晰であった。社会主義のおでん屋で朴と会い意気投合、一緒になる。朴烈は日本の敗戦とともに昭和20年10月27日釈放される。
 二幕。昭和3年3・15事件起きる。昭和3、4年の治安維持法による検挙者は8368人、起訴者864人に上る。共産党中央委員、岩田義道(アジプロ部長・農民部長)は昭和7年10月逮捕され、警察の拷問で死ぬ。作家の小林多喜二も翌年2月同じ運命にあう。トルストイを敬愛した辰治は常に「正しく弱き者」の味方であった。やがて3・15事件の『大阪公判』での被告達の弁護活動が「法廷を騒がした」ということで懲戒裁判にかけられて弁護士除名となる(昭和7年11月・翌年12月皇太子誕生恩赦で弁護士資格復活)。
 ここで辰治と検事と治安維持法についての問答がある。検事「あなたが治安維持法が天下最悪の法と攻撃するのはどういう意味ですか」辰治「法は社会全体の利益を守るという建前から考えると、治安維持法は一般大衆のために治安を維持する法律でなければならないはずです。しかしこの法律はそう見せかけて、国家権力が一部特権階級のために利用するために作られています」 検事「なっぜそう断定するのですか」 辰治「治安維持法を改悪して死刑、無期懲役まで言い渡すことにし、この法律に該当しない解放運動家を、みだりに治安維持法違反として検挙、処罰するいくたの事件を見ているからです」(前掲「ある弁護士の生涯」より)。まさに辰治の真骨頂「生くべくんば 民衆とともに 死すべくんば 民衆のために」が表現されている。さらに辰治の弁護活動そのものが治安維持法違反に引っかかるとして検挙、拘留される。この間岩手山村の入会権解決に力を尽くす。昭和19年には治安維持法違反容疑で京都刑務所に拘留中の三男杜生君が獄死する。敗戦後自由法曹団が再結成され顧問となる。弁護士活動を再開、食糧メーデーのプラカードの語句が不経済に問われた事件、三鷹事件、松川事件などに活躍してこの世を去った。この日辰治の孫で日本評論社会長、大石進さんが舞台で挨拶した。プログラムには「この舞台が喜びの大団円ではなく、何事化の始まりの一歩であれかしと願っている」とあった。

(柳 路夫)

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