安全地帯(174)
−信濃 太郎−
女王「ガラ」と一緒に写真に収まる
写真家・霜田昭治君から一枚の写真が送られてきた(3月25日)。同封のハガキには次のように書かれていた。「写真『彼女と老いたる彼らと』をおくります。歌姫を囲んで向って左から霜田昭治・渡邊瑞正(画家)・牧内節男(ジャーナリスト)。又はガラと(以下順不同です)ポール・エリュアール(フランスの詩人)、マックス・エルンスト(ドイツ生まれの画家・フランスへ帰化)、サルバドール・ダリ(スペインの画家) 2007年/3/23」
多少注釈を加えると3月23日午後7時から「かつしかシンフォニーヒルズ・アイリスホール」で関西で活躍しているオペラ歌手、濱崎加代子さんの舞台のための歌曲集「彼女と彼らと」が開かれた。加代子さんの父富雄君と我々三人は友人である。60年程前、堅い絆で結ばれた仲間である。この三人は加代子さんが始めて東京で開いた「オペラティク・コンサート」で「彼女と彼らと」も聞いている(2004年8月27日・四谷区民ホール)。霜田君は我等三人をエリュアール、エルンスト、ダリと誰とも特定せず「順不同」としたのは友情からであろう。舞台が終わった後、ホールの入り口付近で加代子さんと一緒に写真を撮った。歌曲集にちなんで「彼女と老いたる彼らと」と題して写真を送ってくれた次第である。
「ひとりオペラ」は多情多感、自由奔放なガラと三人の詩人や画家を巡る物語である。今回も「笑う煙」から幕が上がる。「私は煙だ」というガラは「男にとって捉えどころがないということか」と本紙(2004年9月10日号「花ある風景」)に感想を書いた。もっと奥が深いようである。男と女、聖と悪、国家と個人等諸々の「境界」を意味しているように私には思えた。煙の先に見えるるのは愛、それとも自由か・・・終幕は「?」で終わる。これは観客がそれぞれの思いの言葉を入れればよいのだろう。私は「自由の煙」と入れる。愛の詩で確乎たる地歩を築いたエリュアールとの結婚、「愛と絶望」「コンプレックス」「変化」をへて画家、エルンストへ走る。それから狂気のダリの登場である。この舞台ではピアノの小梶由美子さんが朗読を担当する。「ダリという人間は、比類なく崇高な存在であり、それがわたし、ダリなのである。わたしは、たえず宝石と狂気を原野にまきちらすことによってわが天才をなおいっそう光輝あるものにするあらゆる方法を知っているし、また活用している」ダリの告白は続く。ともかくガラなくしてダリは画家としても男としいも生きてゆけなかった。そうでなければ「夢と現実が白昼夢のように融合した世界」を描けなかったと思う。濱崎さんの哀切なソプラノは会場一杯に響く。確かな存在感を感ずる。演出家の加藤直さんは「ひげ」を浜崎さんにつけたがるようだが、今回の「ヒゲ」は一段と見栄えがした。それだけ浜崎さんの進境著しいものがあったということであろう。
なお蛇足ながら「老いたる彼ら」の一人だけが小脇に物を抱えているが、これはこの日午後2時から東京・吉祥寺の「前進座劇場」での弁護士布施辰治を描いたお芝居「生くべくんば 死すべくんば」を見て直に濱崎さんの「音楽活動25周年記念リサイタル」に駆けつけたためである。小脇のものはお芝居の「プログラム」と布施辰治の岩波の新書本である。
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「彼女と老いたる彼等と」
歌姫を囲んで向かって左から
霜田昭治・渡邊瑞正・牧内節男
又は ガラと
〈以下順不同〉
ポール・エリュアール
マックス・エルンスト
サルバドール・ダリ
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