花ある風景(270)
並木 徹
整理部同人達の友情に涙する
毎日新聞の名整理部記者、名木田一夫さんを前回の追悼録(3月20日号)で取り上げたら毎日新聞社会部で察回り一緒で、その後整理部へ移った吉田掟二君からメールが届いた。『彼女はほんとうにいい娘です。お父さんがなくなってもう45年にもなるのに我々を「おじちゃま、おじちゃま」といって慕ってくれます。有名作家となって、億万長者となったのに、そんなところは全くありません。我々にはあの頃の小学生の恵子ちあんなのです。名木ちゃん(我々は一夫さんをそう呼んでいました)は僕が整理部に行ったときのデスクで、ほんとうにいい人でした。もちろん仕事振りは抜群だったし、判断、決断も迅速ではっきりしていましたが何といっても人間味溢れる人柄は忘れられません・・・』と吉田君が思いのたけを綴ってきた。
吉田君と電話で話したところ、名木田さんは硬派のデスクで、軟派のデスクをしていないので君の言う写真説明のデスクは別人ではないか、と指摘された。昭和34、5年ごろは名木田さんは西部本社の整理部長だったはずであるという。当時の軟派のデスクの名前を挙げて顔写真まで添付してきた。吉田君の言う通りかもしれない。同じ整理部の池田龍夫君も私の思い違いではないかといってきた。私の心の中には具体的な事実を通して「名木田一夫デスク」がイメージされなければ気持ちがおさまらない。だからそのままにすることにする。私らしくもないと思うが気持ちだからしかたがない。
吉田君がもうひとつ思い出させてくれた。恵子さんは毎日新聞から2冊本を出している。たまたま整理部から出版局に移った高杉治男君が図書第二部長であったからである。2冊目は山崎れいみさんが編集長していた隔月刊誌「旅にでようよ」で恵子さんが連載したものをまとめた「ひとり旅」である。当時、私が出版局長であったので本の奥付きの発行人は私の名前になっている。吉田君はメールに書く。「お忘れでしょうか。その時、確か僕が恵子ちゃんを紹介した記憶もあるのです」。残念ながら私には全く記憶にない。
整理部は社会部と違って団結が固いように思われる。何かに事寄せて直に集る。内にこもる職場のせいであろうか。羨ましく思う。恵子さんはPHP研究所から出した本(昭和57年)の中に「父の友人たち」という一文がある。「母が入院した時も、亡くなって私が一人になった時も一番気遣ってくれたのは父の友人たちだった。納骨にも、母の一周忌のもつきあってくれ、私は感謝の気持が表現できず胸がいたんだ。初めて詩集が出版された時も、父の友人たちは本当に喜んでくれた。三室のおじさまが中心になって百冊も本を買ってくれたのだ。600円の本を5千円で買ってくれた人もいたと聞いて、私は新聞社から帰りの地下鉄の中でひっそりと涙をぬぐった」
整理部のOBの諸兄よ、君たちの友情には頭が下がる。毎日新聞の同人であるのを誇りと思う。 |