花ある風景(249)
並木 徹
「蛙飛び込む水の音の上5文字を作れ」
根拠のない作り話であろうといわれているが、芭蕉が「蛙飛び込む水の音」の「冠の五文字」を弟子達に考えさせたところ、杉風は「宵闇に」 嵐欄は「淋しさに」 其角は「山吹や」とした(李御寧著「俳句で日本を読む」PHP)。この話は「芭蕉翁古池真伝」による。芭蕉参禅の師、仏頂和尚との禅問答で作られたという。面白い話である。芭蕉は鹿島根本寺住職の仏頂和尚とは1680年ごろ知り合う。和尚が隠居した後、茨城県鹿島町にあるお寺を訪ね「寺にねて誠がほなる月見哉」の句を残す。杉山杉風は(1647〜1732)は江戸深川芭蕉庵の提供者。「奥のほそ道」は杉風の別邸からスタートした。句に「鶯よ咽こそばいうなりけるか」がある。松倉嵐蘭は芭蕉32歳の時の弟子(1675年)。前年に蕉門の十哲の一人となる宝井其角(1661から1707)が入門している。早塾の天才は23歳で「虚栗」(みなしぐり)を撰している。その句に「憎まれてながらふる人冬の蝿」がある。「古池や」の句が出来たのは貞亨3年(1686年)春、芭蕉庵である。門人の各務支考が「葛の松原」にそう書き残している。これには其角の「山吹や」のは話しかでてこない。
出だしの5字はいくらでも表現できる。芭蕉は「しろさうし」で「心におもふ事、詞に出る所則歌也」と記し、さらに「見るに有、聞くに有、作者感るや句と成る」とある。「あかさうし」には「乾坤の変は風雅のたね也」とする(山口誓子著「俳句の心」)。そうはいっても凡人には「古池や・・・」の5文字は浮かんでこない。
読者諸兄姉も挑戦してみてはいかがですか。私は「畦道や」「大空や」「青空や」と考えた末に「古裡の外」(古い寺の庫裏の意)とした。小中学生にやらしてみると案外傑作が出てくるかもしれない。国語の授業でも取り上げると子供達が興味が持てるものとなりそうである。 |