2006年(平成18年)7月1日号

No.328

銀座一丁目新聞

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安全地帯(148)

信濃 太郎

記事は記者のセンスと勉強と熱意で決まる。

 読者にはわかりにくいであろうが、地方支局の記者達の書いた記事は新聞の一面や社会面に載りにくい。理由はニュースの価値判断より縄張り感情に支配されるかである。もちろん大事件は別である。高杉良著「不撓不屈」上卷、下巻(新潮文庫)によると「飯塚事件」に関連して逮捕された職員4名が裁判で無罪となった判決を全国紙で報道したのは産経新聞だけであった。そこには一人に優秀な記者の存在があった。飯塚事件というのは「別段賞與」が節税か脱税かを巡る飯塚毅会計事務所対国税当局との戦いである。裁判の結果「国税庁が一介の弁理士に敗れた大変な事件」であった。
 飯塚会計事務所は顧客の法人が大きな利益を計上した場合、従業員の努力の成果を考慮して利益の一部を従業員に配分するのは賞與本来の意議にも適うとして昭和36年3月頃から顧客にその実施を指導してきた。具体的には概算利益額の2割以下ぐらいを”別段賞與”支給の適正限度額として当該事業年度では未払い金のまま損金に計上しておき、資金事情の好転した適当な次期にその支給を実施するというものであった。税法上の根拠もあり、飯塚さんが大企業に比べて経営基盤の脆弱な中小企業の経営者並びに従業員を支援したいと編み出したものであった。これが脱税を指導したものとして職員が4名宇都宮地検に逮捕された(昭和39年3月14日)。これより前すでに1年2ヶ月に亘り会計事務所や顧客の法人が税務調査を受けており、調査官はのべ3千人に達した。その行き過ぎが国会でも問題となった。4人の逮捕が全国紙で報じられた。
 宇都宮地裁で無罪判決が出たのは昭和45年11月11日。産経新聞の宇都宮支局住田良能記者は入社2年目であったが「飯塚事件」の本質が判っていた。掲載に当たり社会部デスクと支局デスク、住田記者との間に「判決の記事」をめぐり烈しいやり取りがあった。「なにが一面トップだ。県版トップでやれ」「社仮面で大きくお願いします」「ともかく重要な判決です」結果的には4段の扱いであった。今思えば社会面トップ記事でもよかった。他の全国紙が取り上げなかったのは解せない。著者は言う「マスメデアの問題意識の欠如、顕彰能力の不足といわれても弁護できないのではないか。しかも飯塚を貶めた税務当局の発表には各紙とも大きなスペースを割いたことに思いを致すと、なおさらその感を深くせざるを得ない」なお住田記者は現在、産経新聞の社長を務めている。

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