2006年(平成18年)6月10日号

No.326

銀座一丁目新聞

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追悼録(241)

「いつかはのってみたいなくもの上」

  手元に十一歳で亡くなった少女が書き残した詩と絵がある。作者は豊島加純さん。生まれは釧路,10歳の時に脳腫瘍を発病。小学校の小内山美和子先生から12色の色鉛筆とノートをもらったのをきっかけに詩を作り始める。右手が麻痺したため,左手で書く。この作品に児童文学作家のこやま峰子さんが文章を,絵本作家で画家のポーランド生まれのマイケル・グレイニエツさんが絵をそえて「いのちのいろえんぴつ」(教育画劇発行)という本になった。

  みんなはね とてもだいじな たからもの
  さくらはね とてもかわいい はずかしや
  いつかはね のってみたいな くもの上

 素直に詠っている。感受性豊かである。7歳の時手話を習い,耳の聞こえない人たちにいろいろな話や詩を手話で伝えたいと思っていた。

  12色
  ここには12色の、いろがある
  めだたない色もあるけれど
  みんながんばってる
  ひとつ、ひとつ
 彼女の絵がそえられてある。黄色,緑色、橙色、青色、紫色、赤色、黄色、藍色、黒色、茶色と10本の線が縦に引かれている。
 この発想はいい。みんな懸命に生きている。自分も頑張っている表現であろう。一番左に引かれた黄色が自分だと小内山先生に答えた。

  先生がこの ノートをみて なみだを 流してくれた 自分が 書い  たもので 人が泣いてくれる うれしかった だからがんばってかく
  2003 6・25 13時54分 豊島加純

 死ぬ3ヶ月前の作品である。
 最後にこやまさんが文をつづる。
  たいようが北の大地にしずむあきのゆうぐれ、
  たったひとつのかけがえのないたいせつないのちが
  しずかにとじました  
  花のようなしょうじょはほしになり、
  いま、ひかりのペンで詩やどうわを
  つづっていることでしょう。
 豊島加純さんは2003年9月17日その短い生涯を閉じた。

(柳 路夫)

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