2006年(平成18年)2月20日号

No.315

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安全地帯(135)

信濃 太郎

 公表遅れか 取材力不足か

 チェイニー米副大統領はテキサス州南部で狩猟中誤って友人を誤射、負傷させる不祥事を起こした(2月11日午後)。この事件でABCテレビなどが事故から24時間たって公表したことについて批判的に報じた。13日の報道官会見では「公表の遅れ」に質問が集中したという(毎日新聞2月14日夕刊)。地元紙がウェプサイトで12日午後に報道し事故は明らかになった。このような事故の場合、誰が率先してメデアに公表するであろうか。隠すのが人情というものである。隠すからこそ特ダネが生まれる。常にアンテナを高く、広く張り巡らせておかなくてはならない。テレビの取材は常に公表待ちとでもいうのであろうか。報道官に詰問をするのは自分の取材力のなさを示すものにほかならない。この状況は日本でも似たり寄ったりであろう。
 日本でチェイニー誤射のような事故がおきれば、ニュースソースはいくらでもある。警察、消防署、救急車、狩猟場の関係者、事故当事者の側近などである。察回り記者がおれば直ぐに記事は取材出来る。救急車のサイレンで気が付けば消防署に電話をかければそれですむ。日頃から人脈を広げておれば、「事故の通報」があるかもしれない。
 昭和35年11月2日社会党浅沼稲次郎委員長を刺殺した山口二矢(17)が練馬鑑別所の単独室で縊死した事件があった。このときの取材が遅れた。練馬署も事件を知っていたし、救急車も出動している。事件記者たちの感度が鈍っていたのである。当時、公表が遅れたことに文句を言う記者はいなかった。自分たちの取材力を嘆くのみであった。
 いま新聞記者の取材の足腰がとみに弱っている。常に発表待ちの姿勢である。自分で取材せず、他社の記者が取材したものをメモする有様である。発表ものになれている記者が事件現場へきて「黒板はどこにある」と聞いたというウソのような話が伝えられている。いつも記者クラブで発表のとき黒板の前でレクチャーを受けるからである。ともかく取りにくいネタを取ってくる記者が少なくなった。

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