田中正明さんが亡くなった(1月8日・享年94歳)。「パール判事の日本無罪論」(慧文社刊・昭和38年9月25日第1冊発行)の著者として知られる。田中さんは連合国占領下の言論弾圧が厳しい中、公表を禁止されていた東京裁判におけるインド・パール博士の日本無罪論の刊行作業を秘密裏に続け、1952年(昭和27年)4月28日、日本の主権が回復したその日、この著書のもととなる「パール判事述・真理の裁き・日本無罪論」を出版した。これは素晴らしい業績である。1月12日武蔵野市吉祥寺の安養寺での告別式は「興亜観音を守る会」の会長板垣正さんが葬儀委員長になって執り行われ、関係者多数が出席した。田中さんは守る会の初代会長であった。
昭和38年に出版された本の序文に田中さんはこう書いている。「『日本は侵略戦争を行った』という東京裁判の判決の線が、そのまま無条件で容認され、いまだに小国民は、そのような教育を受けている。日本の行った戦争が侵略戦争であったか自衛戦争であったかは、後世史家の批判に任せるべきであって、戦勝国の判断や戦時宣伝を鵜呑みする必要はない。『日本は世界に顔向けの出来ない侵略戦争をやった張本人である』という罪の意識を頭の中にたたき込まれいる間は真に日本の興隆はありえない」。いまなお、この声は聞くべき貴重な意見である。
この本が絶版になった後、2001年11月1日に同名の本が小学館文庫として出されたが、復刊本の「推薦のことば」で小林よしのりさんは「東京裁判が国際法の常識から照らして全く野蛮な復讐劇であり、政治的茶番劇にすぎなかったことはもはや世界で認識されているのに、日本では東京裁判をを否定すると、いまだに『右翼』とか『戦争を否定する危険思想』といわれてしまう」といっている。昭和27年10月来日されたパール博士はそのときすでに「東京裁判で何かも日本が悪かったとする戦時宣伝のデマゴークがこれほどまに日本人の魂を奪ってしまうとは思わなかった」と嘆げかれたという。靖国神社問題や教科書問題の根はここにある。それを初めに指摘した人が田中正明さんである。
平成9年11月、京都・東山霊山護国神社境内に博士の顕彰碑が建立された。田中さんは歌二首を捧げた。「日本無罪叫び続けて四十五年 晴れたこの日を迎ふうれしさ」「汝はわれの子とまで宣(の)らせ給ひける 慈眼の博士京に眠りぬ」。心からご冥福をお祈りする。
(柳 路夫) |