2006年(平成18年)1月20日号

No.312

銀座一丁目新聞

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自省抄(51)

池上三重子

 11月21日(旧暦10月20日)月曜日 快晴

  冬菜見に再接近の火星かな
 膝の傷の痛みも静まった。「ありがたや節」の守屋浩は健在なりや? 歌手生活は? などと連想する程の気分は、体調に加えて冒頭の足立威宏先生の新聞入選句、金子兜太選第一席にピリッと生鮮冬菜が浮かんだからだった。
 冬菜は何?
 からし菜、ほうれん草、白菜、春菊などであったろうか。作る父、炊く母、食べる私。三人で囲む四角なお膳の下に猫一匹。私は猫にそっと煎子を差し出す。そっとは、母が嫌う仕種ゆえよ。「極楽屋と、当時親子三人の暮らしぶりを村びとが言っていた」とは、戦後中国から引き揚げてきたハマ代嫂の言葉だった。
 飯米は小作のエンちゃんとヤアしゃんたちによるもの。根菜類と水芋などは晴耕雨読の父の手、専一の物。私は勤め、お金子は満州在住の兄の仕送り。はた目は羨望や嫉妬ないまぜの噂通りも尤もであったか。
 母は茣蓙機一台、釜屋の南窓際に据えて、一枚茣蓙の「花」や「菱」や「表」を打っていたのだ。
 そんな我が家の昼食時に、父がこう言ったことがあった。
「ミーちゃん、おまやビシャっかね」
 母が庇い気味の口調で、
「ビシャは無か」
 私は黙々と食べていた。ビシャは年齢より若々しいという意味だから「ビシャっか」と問われても、その時はぴんと来なかったのだが、成る程、父が言いたかったのは「未熟」、相応の年齢に到り着いていない私の「幼稚さ」だったのだ。
 確かに私は勤めていても母離れできず、帰宅して母の姿が見えねば「お母さんは」と訊ね、何彼につけてお母さんお母さんを連発。片や父は幼児期生母に死別、おばさんと私の呼んでいた長姉が母代り、存分に母親の愛情を受け得なかった代償は私の目に大きかったと見えるその生涯だった。
 後年その事に気付いた。
 父は甘えたかったのだ。
 幼児性ぬけぬまま、押し込み押し包み生きていたのだ。
 神経質な父の躾は箒の持ち方、掃除の仕方、隅々隅々ほんとうに届きすぎていた。蒲団の敷き方、上げ方、畳み方……私は口答えこそ不徳と心得てしなかったが顔面はぶっちょうづら。顧る私のその時々の表情は、不満あらわであった。
 父よ!
 母よ!
 私はお陰で生まれ育ち並の一人となり得た。女に学問はいらぬの観念を父は持っていたが、この点、兄は理解者だった。兄は進学を許されず、茣蓙屋稼業の跡継ぎとして仕入れに買い廻る手ほどきから出発した。その優秀さを惜しむ師の言葉に耳傾ける事のなかった父。しかし、本家でさえそうであれば尤もの処置、納得できるようになったのは発病頃の私であったよ。
 父上よ!
 母上よ!
 当時の村五百戸あまりの戸数の時代、女の最高学歴は女学校卒。師範まで進んだのは妙子先輩と私だけだった。
 兄上よ! 「行きたいところまで行け、出してやる」と言ってくれた兄の言葉の嬉しさうれしさ。余計な言葉はなかった。進学できなかった自身の止みがたい思いを、私は感動をもって聴き取った。
 父には父の生い立ちがあり、母には母の、兄には兄の生い立ちがあり、私は能力相応の学校への進学を許してもらったのだ。高師希望がいつ知らず消滅していたのは、おおかた自身の能力に気付き村にそこまで行った先輩がいなかったからだろう。
 母上よ! 夢見にお待ち申します。
 いまだ母離れ不可能な稚心去らない私です。大好きなお母さんなのですから。

  12月1日(旧暦10月30日)木曜日 晴れ

 十二月一日。
 とうとう来た、とうとう迎えた十二月!
 嘘のようだが本当にやって来た二〇〇五年最終の月。大晦夜、紅白歌合戦のあと母は長い髪を梳られた。粗櫛のあと、目立て細かな梳き櫛でいく度も梳き下ろされるシューッシューッと身に沁み透るような音に私は聴き惚れた。除夜の鐘はテレビで……母上よ!
「百まづも二百まづも生きまっしゅ! それより上はできませんじゃろかの?」
 母上の明るい声も口調も今々ごと、長生きして下さいね、看病してやって下さいね、という友人たちへのお返し言葉が耳元に蘇ります。
 母上よ、あなたは愚痴の片言雙句なし、つくづく偉大でした。讃えても讃えても尽きない讃仰です。
  遅るるは五蘊盛苦とうべなへど
  涙流るる母十七年忌
  幾反芻経なばはてなむ風樹の嘆
  さあれ香華のごとき子ごころ

 佐伯三葉さまより信州りんごを送って頂いた。今日出勤の方々に一個ずつ、私も早速賞味させてもらった。本当に美味よ、美味しいなあ、でっかいなあ。
 五時。ほの暗い室の中央部に空色の、清澄の漂い。
 佐伯三葉さま、どうぞ熟睡の夜であられますように。



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