1998年(平成10年)6月1日(旬刊)

No.41

銀座一丁目新聞

 

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茶説

自然の音に耳をすまそう

牧念人 悠々

 

 音について書く。

 自然の音にしろ、人の声にしろ、騒音にしろ、すべて人体に影響する。罵声、荒々しい音、騒音は体に悪い。そういった環境が長くつづけば、人間はもちろんのこと、動物までもストレスを起こす。起こさないまでも、情緒不安定となる。

 昨今よくいわれる少年がキレる現象の遠因がここにもある。

 石牟礼道子さんは「水はみどろの宮」のあとがきに次のように書く。

 ―― 私たちの生命というものは、遠い原初の呼び声に耳をすまし、未来にむけてそのメッセージを送るためにある。お互いは孤立した近代人ではなく、吹く風も流れる水も、草のささやきも、光の糸のような絆をつないでくれているのだということを、書きあらわしたかった。とは言っても、風はともかく、草の声、水の声を聴きとれなくなった日本人のなんと多くなったことだろう――

 吹く風にも、流れる水にも、草のささやきにも「音」がある。すばらしい音色を人間にかなでているというのに、聞く人が少なくなったとは残念である。その分だけ、人柄が悪くなり、病気の人が増えたというわけだろう。

 般若心経に「無★礙故」(むけいげこ)という言葉がある。けい礙無き故にと詠む。こだわりがないからと訳す。小学館刊の「般若心経」の解説には、仏教詩人、坂村真民さんの詩が引用してある。

 サラリと/流してゆかん/川の如くに

 サラリと/忘れてゆかん/風の如くに

 サラリと/生きてゆかん/雲の如くに

 口に出して、この詩を吟じて、今日あったいやなことやつらいこと、少しは癒されたでしょうかと書いてある。

 音というものは、人間の心を癒すものである。

 できるだけ多く自然に接し、音を聞き、都会にあっても、耳をすまして遠い原初の呼び声を聞き、心を豊かに保とう。音は人間が生きていく上で大切なものである。

 

★はよこめに圭

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