歌人、鳥海昭子さんが亡くなった(10月9日・享年76歳)。この人の生き方と短歌はすばらしかった。本紙でも平成12年4月10日号「茶説」で取り上げた。今年の4月からNHK「ラジオ深夜便」で誕生花の解説とともに彼女が創作した花にまつわる短歌が朗読されている。私は寝つきがいいので「ラジオ深夜便」を聞いた事がない。
前回の茶説の結びの短歌は「書くことは考えることいきること明日の陽の出は六時八分」であった。彼女が亡くなった朝の陽の出は5時42分であった。施主は長男祐さんが勤めた。昭子さんは五人の子持ちの男性と結婚し、離婚する。自分が生んだ男の児が祐さんである。その祐さんもすでに40歳。その祐さんについて昭子さんはこう書く。「祐が4歳のころのある朝の目覚めに、ままあ ぼく 夢をみたんだよ ぼくとぼくと ふたりいて ぼくが ぼくをみたんだよ と叫んだのだった。(略) この時は子どもに、自分を自分でみつめて生きることだと一つの啓示を与えられたというおもいがして・・・」
昭子さんは11人兄弟姉妹の一番目に生まれた子どもである。生まれた場所は山形県鳥海山麓の村である。村の母親たちは子守唄を歌った。
ごんごん(石臼のこと)
ふかねば(ひかなければ)
どどとまま(魚とご飯)
かんねぇ (食べられない)
あッ ごんごんごん
ごんごんごん
母たちは膝から離れようとしない乳呑児の両手を握り石臼を挽くように、ごんごん、ごんごんごんと体をゆすれば、乳呑児は母との信頼の度合にどっぷり浸れるうれしさで「きゃっきゃっ」と天真の笑い声をあげるのだった。東北の母と子どもたちの忍耐がこうして育ったという(鳥海昭子著「あしたの陽の出」・藍書房刊より)。
私が好きな鳥海さんの歌をあげる。
謹んで申し上げます 矢萩草は弓矢の形に千切れます
東京都知事から20年間児童福祉施設に勤務していたというので表彰された時の感慨である。ヘソ曲がりに生まれついた彼女の真骨頂が出ている。かって開いていた「スポニチマスコミ講座」に講師として26年間にわたる福祉施設での体験談を生徒達に話していただいた。真摯に子供たちと向き合った彼女の活動は感動的であった。心から冥福を祈る。
(柳 路夫)