北海道物語
(20)
「どんぐり銀行」
−宮崎 徹−
「四月の末に 雪が消え
八月胡瓜が なりそめる
十月半ばに 冬が来て
紅葉の上に 雪が降る」
詩人の堀口大学氏は、終戦後数年間新潟の妙高山麓に住んで「雪国の暦」という詩を詠んだ。東京から北国へ来た思いが、良く表れて居る。私も旭川に初めて来た年は、十月の十七日に初雪が降って、母屋の二階から外を眺め乍ら、あゝ旭川なんだなあと思ったのだった。
ことしは大雪山初冠雪の時期は変わらなかったが、街では未だ白雪を見ない。夏は豊作で今年は冬の寒さも遅れるだろうと、東京から喜んで居たら、九月に釧路で羆(ヒグマ
)に男性が襲われ死んだという無粋なニュースがあり、友人の知らせでは、今年の道内は羆の餌になるドングリ(ミズナラのもの)やコクワ、山ぶどうが凶作で、人里や山林での羆出没の可能性大との警告が出た。
昨年は本州では例年に無く月の輪熊が出没して困ったようである。熊の餌は米の豊作とは無関係らしい。月の輪熊は平均八十sぐらいで、猪と餌を争うらしいが、北海道の羆は二百s平均の巨体だから敵がない。冬眠前の食料探しで里山に降りて来て人を傷つける危険性が高いのである。
ただ我が国では、獣による人間の被害は、スズメバチによる死者よりも少ない。羆は基本的には雑食で何でも食べるが、好物のドングリも、コクワも、花が咲く七月に霧や雨が多かったために不足だったのだろう。
団栗(ドングリ)はトチノキの実のトチグリから名が由来したと言われるが、今ではコナラ、クヌギ、カシワ、ミズナラなど、椀の形の殻に果実の下部が包まれている木の実を総称してドングリといい、ドングリと称するものは全国では二十種類ぐらいあるという。北海道のミズナラは、北国の寒さによって堅い良質材となり、木材業界、家具業界を潤しているのだが、このドングリがエゾリスや羆の好物であるのも造化の妙である。
本州の山国の人が、北海道へ来て感ずるのは、針葉樹と広葉樹が混交林ととなって居ることである。北大の館脇教授が汎針広葉樹混交林地帯と名づけたことで知られていて、世界では各国に拡がっているが、日本では本州にはない林相である。明治の初期、山の木を一山幾らで山主から買って伐り出し
輸出していた頃、ミズナラが鉄道の枕木に使われているのを外人から指摘されて驚いたという話は、北海道が自然混交林だった為で、折角の資源を安売りしていたからだろう。昭和に入ってからは高級な家具とか、英国向けには棺桶用などに高く売れて居たが、もともと成長の遅い樹種で、明治の初めの様な巨木が乏しくなった時に、洞爺丸台風の風倒木があり、業界としてはプラスだったようである。ドングリを好物
とした動物たちは落胆したのかも知れないが。
ただ、次の世代の為を考えない訳には行かない。旭川営林局は永い視点に立って“どんぐり銀行”というプログラムを考えた。
どんぐりは乾いてしまういと全く発芽しないので木から落ちたら乾かないうちに播かないと発芽力がなくなるのである。そのためにどんぐりを小学生達に十月に集めて貰って、セルロースの作用で発芽を抑制して半年間貯蔵するという技術を開発するために、営林局と業界とが協力して試験を続けた。
何年も試行錯誤が続き、五月五日に雪が降る年もあったりしたが、子供達が集め、翌年大人も手伝って種を埋めて行くという形で継続させて成果を挙げてゆき、道庁の林業試験場も倉庫を造る迄になった。本州からもこれを習いたいという希望が有った。ちょっとしたプロジェクトXである。
木材業界に詳しい友人の言では、穴に種を入れて土を被せてから二年位が勝負の期間で、それが済むと苗木は周辺の熊笹より高くなり陽光を浴び、間伐などして成長が早くなるが、十年で大人の肩ぐらいになる。しかし直径三十糎、樹高二、三十米になるまでには数十年を要する。子供達には自分が拾い集めたどんぐりが一人前になるのが何十年先かは判っていないが
、此の運動を始めた大人達は、自分が死んだ後も此の樹は成長し続けるだろうと思っているのである。其処が成長も商品化も早い針葉樹と違う処であり、樹を育てるのはまことに気の長い仕事である。しかしこれが大雪山系の自然混交林の特色を残すことであり、ロシアからの安い材木の輸入で苦戦する木材業界を扶ける官有林の任務とも思える。治山治水はM&Aの世界とは別の次元である。
再び堀口大学先生の詩を借りれば
「昨夜(きぞ)錦繍の 夢のあと
今日白妙の 我がおもい」
森林限界の千米辺にまでミズナラの森が有って、ドングリがたわわに実り、羆もエゾリスも、ぐっすりと冬眠出来る北の大雪山よ、安らかにあれ。 |