2005年(平成17年)7月20日号

No.294

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茶説

「物からものを聞け」ということ

牧念人 悠々

 警視庁の記者クラブにいたころ(昭和25年から同29年)「鑑識の神様」といわれた鑑識課、岩田政義さん(故人)から「物からものを聞け」と教えられた。現場に遺留された物的証拠は犯人逮捕へ直結する。遺留品は「あれが犯人ですよ」と告げている。推理し、いろいろ々想像して犯人までたどり着けるよう努力せよというわけである。岩田さんの助言で多くの難事件が解決した。昨今、事件の検挙率が落ちているのはこの「物からものを聞く」 力が落ちてきているからでないだろうか。
 国力レベルに話を移す。あなたなら生産力から何を考えるか。たとえば鉄鋼生産量をあげる。昭和16年日本の鉄鋼生産は700万トン、英国は1200万トン、アメリカは7500万トン、英米の合計は8700万トンである。1対12.4の割合である。鉄鋼は産業の基幹物資である。日本はこの時、米英に対して戦いを挑んだのである。この数字を見れば小学生でも戦争にならないと分かるであろう。この子供でもわかる「理明の理」を昭和16年4月ごろ、英国の首相チャーチルは時の外相、松岡洋右にイギリスの駐ソ大使を通じて書面にして渡して「アメリカと戦争をするな」と忠告した。その後の経過を見ればこの忠告は聞かなかったようだ。物からものを聞かないと国の浮沈に関わる。
 ジャーナリズムの世界でも「物からものを聞け」は真理だと思う。新聞記者はインタービューして文章にする。或は現場を見て関係者から話を聞いてまとめる。そこでも真偽を嗅ぎ取る作業が行われる。それが「ものを聞く」である。俳句では物の詩情、感動を言葉にせねばならない。「ものを聞く」という感覚はその人の感性にも関わる。「見て」書くと俳句は散文になる。「聞いて」書いてはじめて詩になる。「物からものを聞く」のは誰にもできりことではなく、普段の努力を必要とする。

 <母のもと辞すに唇塗る花ざくろ>  横山房子

 <石狩まで幌の火赤しチエホフ忌>  寺山修司

 先達の句を吟じつつこれから大いに「ものを聞く」ことを心掛けよう。

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