2005年(平成17年)7月20日号

No.294

銀座一丁目新聞

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自省抄(36)

池上三重子

   6月11日(旧暦5月5日)土曜日 雨のち晴れの予報

 今日は入梅。予定(?)どおり梅雨に入る年は少ないような気がするが、らしい入りよと嬉しさをおぼえる。室温は二十七度、傍らのカーテンが揺れ、戸口の暖簾が廊下に向かってうごいているのも快い。
 長尾忍主任ご挨拶。ありがたいことよ、暖簾の下からお顔覗かせてくださった。母上は直方生まれとか。初めてお目にかかった折りの主任そっくりの華やかな美貌に驚きつつ、「ミス直方でいらしたのでは」と思ったものよ。そのお元気な母上が脳梗塞発症、今リハビリビリ中の由。無常は後ろから来るか前からくるか『徒然草』の一節が連想される。
 今日は読書中止。初ちゃんに胸上設定のダンボールを木製にと、ことづけたのだから。 既製品の木箱とキャビネットに合わせて作ってもらった上段の本箱は、旦那様のお手になるもの。思いがけない贈物頂きになったけれど、大川この園に来て六年、随分お世話になり協力していただいたものだ。
 大川ロータリー倶楽部所属とお聞きするが初ちゃんのボランティヤ拝受も、ご協力あってのこと。ありがたい歳月である。五、六年生担任のご縁。そう、そのご縁が、中学、高校、社会人、結婚出産をへて延々は縁々。ほんとに長々と今に至っているとは……蕉翁の「数ならぬ身とな思ひそ」の心よ。
 思いがけず輝美ちゃんが従兄さんと来室。その従兄さんがハンサムで、あまりにも彼女の父上に似ていられるのに内心の愕き隠しようもなく、まじまじと見つめてしまう。美しいものは何であれいい。正調でも乱調でも美は美よ。
 嬉しかったなあ。彼女は担任が決まっただけで、私は休職から退職に。愛くるしくて父上秀人先生は教師、母上は美人の誉れ高い気さくな世話役タイプ……いろんなことがあったなぁ……
 輝美ちゃんが私の極細の手を見やり乍ら「こんなに痩せておられるとは」と、プレゼントのネグリジェに目を移した。私は慌てて「結構結構、ダブダブほど着心地いいのよ」。事実、いま着ているお気に入りの白のビラビラ付きは、ダブダブ。二十年前にお揃いですよと、江上悠紀子夫人がお手渡しくださったものだ。地が透けるほと洗いざらしても高価と思えた往時のそれは丈夫で長持ち、着心地かぎりなし。良妻賢母もこのお方が最終では、と思うほどの夫人はすでに先年物故。善き方々は先立たれる―もっとも私よりも歳上でいらしたけれど。熊本市の山田眼科は兄上の妻女の出里。私の白内障手術の際の入院には、婦長さんや看護師さんやらへのお心配りも頂いている。
 輝美ちゃんのお見舞いに、なつかしい思い出の宝物を蘇らせることができた。
 ありがとう、輝美ちゃん。山科のお店経営が順調でありますようお祈りしています。

 今日は「読む台」出張のため、気合を削がれた恰好だったが、バスタオル二枚を折畳んでけっこう随時読めた。
 一時は途方にくれた観の私も、間もなく私らしさの回復、そのいずれも私と認めて意気揚々のひとり舞台。無ければ相応の知恵が働くと、ひとり合点も微笑もの。自分自身の楽天ぶりが頼もしい。老媼となってのこの性の発見が本当に愉しくて嬉しいのだ。
 死への願望が諦観らしいものによって伏流化している有難さ! われのみ知るわが生命の奥行き? 幅? 感謝おのずからのものがある。
 ええいっと、やけのやん八ではない純粋さ純情さ、一途さは生得のものだったようだ。顧るゆとりは高齢への天啓。われのみ知る天の地の恩賜の性質といえようか。父母を介して拝受の恩賜よ。

 母上よ!
 今日は旧暦五月五日。
 板の間に坐り、真菰や葦の葉や藺草や、捏ね鉢を前に粽巻くお姿が浮かびます。真菰が葦の葉が匂います。水辺のかおりです。
 釜屋焼の板の間の手前、もうけられた布巾掛けに、大釜で茹であげられた粽が一掛けずつ掛けられます。先般の自省抄にも綴ったけれど、又々記録したいのは、どうも記憶に灼きつけて、刻みより深く、と望むからのようです。いつかは薄れ、消えてなくなる日が来るに違いない、と想定する哀感がなさせるといえましょう。
 私の生ある限り宝の記憶としたいのですね、きっと。
 恵まれた母子のご縁でした。
 私はお母さんの子に生まれてよかった! 切実な感慨です。感動です。しかしお母さんは「この子を産んでよかった」とお思いだったでしょうか。自問の自答は否! きっぱりと否定の首横振りです。ごめんなさいの連発が心象です。
 感傷です。
 風樹の嘆は無窮です。
 自浄作用の促しです。
 一雨後の今朝のこの風の爽やかさはどうでしょう。頬寄せて、風さんありがとうと甘えたい気分です。
 風樹の嘆が和みます。
 お母さん風の感じです。匂やかです。
 旧端午の節句今日! お母さんの粽巻かれる板の間の姿のまん前、幼童私はちんまり端座して見つめています。粽は餡粉無しですから、米ん粉饅頭作りの日のような喜びはないのですが、手もとの作業のよどみない流れに見飽きることはありませんでした。
 いっぱい思い出草をお遺しくださったのですね。
 思い出は宝。
 思い出は発想の源です。
 枝葉をひろげて葉っぱのフレディです。
 目が霞みました。ガーゼで拭かねばならなくなりました。ぺんを擱きますね。



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