安全地帯(116)
−信濃 太郎−
ペンの森は人を残す
毎日新聞社会部時代の友人に瀬下恵介君がいる。現在はマスコミ寺小屋「ペンの森」を主宰している。現役の時は軽妙洒脱な原稿を書いた名文家であった。定年を前にTBSブリタニカへ移り「NEWSWEEK日本語版」の編集長を勤めた。思うところがあって1995年56歳の時、神田神保町の一角のビルを拠点として今の仕事を始めた。この10年一期性から十期生までマスコミ界へ多くの人材を出した。資料によると、新聞社へ62名、放送・通信・制作関連会社へ40名、出版関連会社へ55名、広告関連会社へ10名となっている。
「創立10周年記念パーティー」(7月16日・東京・西神田・万国食房ディナ・ギャン)には毎日のOB、現役、教え子など200名が集った。会場は若さに溢れていた。案内状には「頚椎の椎間板ヘルニアと脳梗塞を病み一時、論作文添削活動がやんだりしました。まだ通院しているとはいえ、酒は復調著しく、いたって元気です」とあった。紺の背広にネクタイ姿の瀬下君は顔色もよく、歩き方もしっかりしていた。私は「瀬下君は毎日時代たいした仕事をしなかったが、毎日を辞めてから人を残すという大切な仕事をした」と激賞した。私も「スポニチマスコミ塾」を3年開いた。それなりの成果を上げたがお金が続かなかった。その意味では瀬下君が羨ましい。元サンデー毎日編集長の四方洋さんは「瀬下君は私と同じく経理感覚がない。銀行からお金を借りてばかりいるので忠告して一時仲が気まづくなったこともある。ともかく人を育てるのは大事なことだから頑張ってほしい」と激励した。料理は一杯出た。みんなよくおしゃべりをし、よく食べ、よく飲んだ。最後に瀬下君は「ここから巣立つ若者達は、よりペンの鋼を鍛えて社会の不正を正してくれるでしょう。ペンの森の生命力に一層ご期待ください」と挨拶した。心からエールを送る。 |