2005年(平成17年)7月10日号

No.293

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追悼録(208)

「パリは燃えているか」

  名著「パリは燃えているか」の共著の一人ラリー・コリンズさんがフランス南部のフレジュスの病院で死去した(6月20日)。享年75歳であった。手元にD・ラピエールとともに出した「パリは燃えているか?」上、下巻(訳・志摩隆・早川書房)がある。発行日は上巻が昭和41年7月31日、下巻が昭和41年8月31日で再販発行となっている。パリ解放の2週間を3年の月日をかけ、千人からインタービューして生々しく再現したもので当時、ベストセラーになった。社会部のデスクになったばかりのころで、先輩から進められて買った。
 上巻のグラビアに凱旋門の前をドイツ軍が軍楽隊を先頭に行進している写真がある。説明に「1940年6月14日パリ陥落の日から1944年8月25日のパリ解放まで4年間、毎日ドイツ音楽隊と歩兵部隊は凱旋門をまわってシャンゼリゼを通リコンコルド広場まで行進した」とある。ニュースは一刻を争うが、ドキュメントはゆっくり腰を据え資料を集め、できるだけ多くの人々から話を聞けば良い読み物になる。その切り口を何処にするかがジャーナリストとしての手腕が問われる。パリの廃墟を求めてヒトラーが発した「パリは燃えているか」の問いに焦点を当てパリ解放2週間を描いたところにこの本の切れ味の鋭さがある。
 下巻192ページにはこうある。「わしはパリ市街を全滅するために必要な命令を与えていた。パリを破壊するために特別工兵部隊を派遣していた.この命令は実行されたのか?」ヒトラーは参謀総長に訊ねた。「ヨードル」彼は独特のしわがれ声で叫んだ。「パリは燃えているのか?」重苦しい沈黙が地下壕の中にみなぎった(パリより1500キロ離れた東プロシャにあるドイツ国防軍最高司令部の掩蔽壕)。このあともヒトラーは怒号する。「わしは知りたいのだ―パリは燃えているのか? 今、この瞬間、パリは燃えているのか? イエスかノーかヨードル、どうなのだ?」パリは救われた。エッフェル塔、ノートルダム寺院、オペラ座、凱旋門も無傷のままであった。訳者の志摩隆さんは「奇跡とより言いようのない多くの偶然がはたらいていたこともあるが、それよりも文化や藝術作品が持つ力、人に畏敬の念を起させ触れるべからざる威圧を持つ精神文化の力をまざまざとみせてくれるものがある」と、美の力が武力よりまさったのだと解説する。とすれば我々が今問うのは「地球は燃えているのか?」ということであろうか。G8会議でも地球温暖化問題が討議された。

(柳 路夫)

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