花ある風景(194)
並木 徹
原爆を富士山に落せと主張した科学者
物理学者・菊地誠さん(東海大学名誉教授)の話を聞いた(2月15日・日本エッセイスト・クラブ)。親交のあったアメリカの物理学者「ショックレイーが言い残したこと‐鬼才物理学者は何を考えたのか」というテーマであった。ウイリアム・ショックレイはベル研究所時代J・バーデエン、W・H・ブライテインとともにトランジスターを発明。1956年ノーベル物理学賞を受賞している。菊地さんはこの発明を20世紀科学技術の最大事件と位置付ける。技術と物理学の分野で重要な特許、論文に名前が出てくる天才である。興味ある話がたくさんあった。私は原爆の実験に成功(1945年6月16日)して日本の何処に落そうか議論された時、ショックレーは大統領に手紙で「日本の象徴である富士山に落すべきである」と進言した話に心打たれた。。普通の人が考えつかないアイデアである。広島、長崎に落として多くの犠牲者を出し日本人の恨みを買うよりはよっかったかもしれない。歴史を「IF」で考えると面白い。科学者は奇抜なことを考える。原爆の開発を大統領に要請したアインシュタインは広島に原爆が落とされたとラジ
オを聞いて「なんと言うことだ」と叫んだ。平和主義者であり、日本各地で講演し、日本が好きであっただけにその気持ちを察することができる。
ショックレイーは新しい概念を構築し名前を付ける際、著名な科学者の名前を逆から読んでつけた。「imref」はシカゴ大学で史上最初の原子炉「fermi炉」を建設したE・フエルミから名付けたものである。1942年12月2日、シカゴ大学の運動場西側スタンド下に設けられたこの実験炉で人類初の「原子の火」がともされた。記録によれば実験メンバーの一人であったアーサー・コンプトンが科学研究局のウラン計画責任者ジェイムズ・コナントに電話で実験成功を報告した。「イタリアの航海者は新世界に到着しました」(フエルミはイタリアからの亡命者であった)「土着の住民が彼を快く受け入れてくれるとよいですね」「とてもうまくいっていますよ」かくして原子爆弾への一歩が踏み出された(ジョン・D・ベイツ著「史話366」)。
晩年は教育に力を入れ「THINKING ABOUT THINKING IMPROVES THINKING」を主張した。「よく考えよ、さらに考えよ」ということだろうか、「我思うゆえに我あり」の「思う」をさらに突き詰めよと教えているように思う。哲学者というより宗教家に近くなっている。
ショックレイは平成元年、79歳で前立腺癌でなくなった。最後に「モルヒネ点滴を止めてよい」とエミー夫人に言ったという。 |